武蔵国の畠山重忠は、1180年(治承4年)、源頼朝の鎌倉入りの際に先陣を任された武将です。
頼朝没後の1205年(元久2年)、北条時政に騙され横浜市旭区で最期を遂げました。嫡男重保も鎌倉の由比ヶ浜で三浦義村によって討たれています。
畠山重忠邸跡(鎌倉)
畠山重保の宝篋印塔(鎌倉)
(畠山重忠公碑:横浜市旭区)
さかさ矢竹
首塚(横浜市旭区)
畠山重忠の首が葬られたとされる地
首洗い井戸(横浜市旭区)
薬王寺(横浜市旭区)
畠山重忠の霊堂と主従が葬られた塚
六ツ塚
駕籠塚(横浜市旭区)
畠山重忠の妻が葬られた地
畠山重忠遺烈碑(横浜市旭区)
横浜市都筑区中川中央1-18-1
横浜市営地下鉄「センター北」下車徒歩5分。