2009年(平成21年)4月、建長寺の法堂内に華厳小宝塔が安置されました。
吉田管長の願いにより諏訪の宮大工が製作したもので、大華厳塔復興の願いが込められています。
建長寺の華厳塔は、1253年(建長5年)の創建当初よりあった建物ですが、1315年(正和4年)の火災によって伽藍が焼失。
その後、1323年(元亨3年)に行われた九代執権北条貞時の十三回忌の供養の際に、貞時の側室の覚海尼によって再建されますが、その華厳塔も焼失し、以後再建されていません。
建長寺の華厳塔は、一直線に並ぶ山門・仏殿・法堂の延長線上の山服にありました。
この付近に、華厳塔は建てられていたといいます。河村瑞賢墓は、もとは別の場所にあったそうです。
瑞賢墓の前には第二子墨斎の墓
瑞賢墓にある井戸
(鎌倉五名水の一つ不老水ではないかとも・・・)
~参考:円覚寺の華厳塔~
八代執権北条時宗の供養のために、覚山尼が円覚寺に建てたという華厳塔も、建長寺の華厳塔と同じように山門・仏殿・法堂の延長線上の山服にありました(参考:北条時宗供養の華厳塔~円覚寺塔頭黄梅院~)。
円覚寺境内絵図 境内の一番奥に描かれているのが華厳塔です。 |
鎌倉手帳
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