北鎌倉の山ノ内には、建長寺・円覚寺をはじめとする北条氏ゆかりの禅寺が並んでいます。
現在の鎌倉山ノ内から横浜市栄区・戸塚区にかけては、「山内荘」と呼ばれた荘園で、源頼朝が鎌倉入りした当時は、山内首藤経俊の所領でした。
しかし、経俊は頼朝が挙兵したときに平家方についたため、1180年(治承4年)10月23日、山内荘を没収され、身柄は土肥実平に預けられます。
このとき、山内荘の支配も実平に預けられています。
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明月院は、山内経俊が平治の乱で死んだ父俊道の菩提を弔うために建てた「明月庵」を起源としているといいます。
境内にある「明月院やぐら」は、上杉憲方の墓といわれていますが、山内経俊が造った「やぐら」であるともいわれています。
1213年(建保元年)、和田義盛が北条義時に対して挙兵します(和田合戦)。
このとき、山内荘は、土肥実平の孫惟平が地頭職を務めていました。
しかし、惟平は和田義盛についたため処刑されてしまいます。
山内荘は北条義時に預けられました。
以後、北条得宗家の所領として管理され、北条時頼以降、建長寺をはじめとする禅刹が建立されていきます。
建長寺は、北条時頼によって創建された臨済宗建長寺派の大本山。
鎌倉五山第一位。
鎌倉への玄関口巨福呂坂の入口に建てられ、日本初の「禅専門道場」として栄えました。
北条時頼は明月谷に最明寺を建てます。
最明寺は時頼の死後廃寺となりますが、子の北条時宗が禅興寺として再興しました。
禅興寺の支院の一つが「紫陽花寺」として知られる明月院です。
明月院には、北条時頼廟と時頼の墓とされる宝篋印塔があります。
浄智寺は、北条時頼の三男宗政の菩提を弔うために建立された鎌倉五山第四位の寺です。
円覚寺は、元寇による戦死者を弔うために北条時宗が創建した臨済宗円覚寺派の大本山。
鎌倉五山第二位。
塔頭の佛日庵には、時宗・貞時・高時が祀られています。
北条時宗の妻・覚山尼によって尼寺として開かれました。
山ノ内から少し離れた大船には、建長寺の根本といわれる常楽寺があります。
北条泰時が建てた粟船御堂を前身としています。
泰時の墓があります。