1180年(治承4年)10月20日、富士川の戦いで平家軍を破った源頼朝は、翌日黄瀬川の宿に戻ります。
そこへ一人の若者がやってきて頼朝への面会を求めました。
土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実らがこれを怪しみ、取り次ぎをしないでいましたが・・・
この話を聞いた頼朝は、「年齢の程を思うと奥州の九郎(義経)かもしれない。すぐに会おう」と言います。
土肥実平が若者を請じ入れると、やはり義経でした。
義経が御前に進むと、互いに往時をしのび、懐旧の涙を流します。
そして頼朝は、
後三年の役の際に、先祖源義家が苦戦をしていると、弟義光が朝廷警固の官職を辞して奥州に下り、敵を滅ぼすことが出来たという故事を引き合いに出し、
「今日ここへ来たのは、この先祖の例に匹敵するものだ」
といって義経の来訪を喜んだのだといいます。
(静岡県:八幡神社境内)
源義経 |
義経は頼朝の異母弟。
母は常盤御前。
平治の乱後、鞍馬寺に預けられますが、奥州へ下り藤原秀衡の庇護を受けていました。
10月1日には、義経の同母兄全成も頼朝のもとに参上しています。
全成は、平治の乱後、醍醐寺に預けられていましたが、頼朝が挙兵すると寺を抜け出し、石橋山の戦いの直後、佐々木定綱ら兄弟と出会い、渋谷重国に匿われていました。
(参考:渋谷重国と佐々木四兄弟~石橋山の戦い~)
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