別冊『鎌倉手帳』

okadoのブログは、『鎌倉手帳』(寺社散策・観光)の別冊。
鎌倉の寺社・歴史・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
鎌倉の歴史にかかる関係地・寺社の情報も。




Translate

2011年8月12日金曜日

玉縄首塚まつり~里見・北条の鎌倉合戦戦死者の供養~

※今年(2011年)の「玉縄首塚まつり」は、中止となったそうです。
http://tamanawa.net/7_keijiban/kubitukamaturi.html


『新編相模国風土記稿』によると、「1526年(大永6年)、里見実堯が鎌倉に侵攻し、玉縄城主北条氏時がこれを戸部川(柏尾川)のほとりで防いだ」とされています。

そして、この合戦によって北条側は、甘糟氏をはじめとする35名の戦死者を出しました。
その戦死者が葬られたのが「玉縄首塚」だといわれています。


8月19日は「玉縄首塚まつり」です。
柏尾川は、たくさんの提灯で飾られます。

対岸には露店が並びます。


塩釜神社
柏尾川の対岸にある塩釜神社は、台戸部の鎮守です。
かつては、年末に「歳の市」が行われていたそうです。

首塚では、午後6時より墓前祭が行われます。
玉縄の六寺院の僧侶が導師となって行われる法要です。

武者姿の方々もいます。


暗くなると提灯やぼんぼりに灯りが灯されます。







そして、灯籠流しです。
(川施餓鬼)

午後8時からは灯籠流しが行われます。

流された灯籠がゆっくりと下っていきます。


~里見氏の鎌倉来襲~

里見軍は、軍船数百で鎌倉の海岸に押し寄せ、由比ヶ浜海岸材木座海岸から上陸したといわれています。

鎌倉市中で、小田原の北条氏綱との激戦が繰り広げられ、ついには鶴岡八幡宮も炎上します。

『里見代々記』には、これを「不吉なり」として退却したことが書かれているようです。

一説には、里見氏は、源義家を祖とする清和源氏だということです。



玉縄首塚まつり
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/gyoji-maturi/tamanawa.htm
玉縄首塚
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page140kubituka.htm
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 鎌倉情報へ

このブログを検索




Google+ Badge