http://tamanawa.net/7_keijiban/kubitukamaturi.html
『新編相模国風土記稿』によると、「1526年(大永6年)、里見実堯が鎌倉に侵攻し、玉縄城主北条氏時がこれを戸部川(柏尾川)のほとりで防いだ」とされています。
そして、この合戦によって北条側は、甘糟氏をはじめとする35名の戦死者を出しました。
その戦死者が葬られたのが「玉縄首塚」だといわれています。
8月19日は「玉縄首塚まつり」です。 柏尾川は、たくさんの提灯で飾られます。 |
対岸には露店が並びます。
塩釜神社 柏尾川の対岸にある塩釜神社は、台戸部の鎮守です。かつては、年末に「歳の市」が行われていたそうです。 |
首塚では、午後6時より墓前祭が行われます。 玉縄の六寺院の僧侶が導師となって行われる法要です。 |
武者姿の方々もいます。 |
暗くなると提灯やぼんぼりに灯りが灯されます。
そして、灯籠流しです。
(川施餓鬼)
(川施餓鬼)
午後8時からは灯籠流しが行われます。 |
流された灯籠がゆっくりと下っていきます。 |
~里見氏の鎌倉来襲~
里見軍は、軍船数百で鎌倉の海岸に押し寄せ、由比ヶ浜海岸や材木座海岸から上陸したといわれています。
鎌倉市中で、小田原の北条氏綱との激戦が繰り広げられ、ついには鶴岡八幡宮も炎上します。
『里見代々記』には、これを「不吉なり」として退却したことが書かれているようです。
一説には、里見氏は、源義家を祖とする清和源氏だということです。
玉縄首塚まつり
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/tamanawa.htm
玉縄首塚
https://www.yoritomo-japan.com/page140kubituka.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html