鎌倉時代には宋の建築様式が輸入され、その代表的なものが東大寺の南大門に見られる「大仏様」と円覚寺舎利殿にみられる「禅宗様」です。
舎利殿
開山堂前の昭堂(礼堂)で、
仏舎利を祀っていることから「舎利殿」と呼ばれています。
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太平寺の仏殿は、1284年(弘安7年)ころには建てられていたと考えられています。
太平寺は、1556年(弘治2年)、安房の里見義弘が鎌倉に攻め入った際、住職の青岳尼を連れ去り妻としたことから、北条氏康(後北条氏)の怒りを受けて廃寺とされました。
その後、1563年(永禄6年)の大火で正続院の諸堂が焼失してしまったことから、氏康は太平寺仏殿を移築し昭堂としたということです。
太平寺跡碑
西御門の来迎寺裏のテニスコートが、
太平寺のあった場所といわれています。
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安置されている仏舎利は、三代将軍源実朝が宋より請来したもので、大慈寺に安置されていたものを、九代執権北条貞時が円覚寺に遷しています。
(正続院のある場所には、貞時が仏舎利を安置するための祥勝院という堂宇がありましたが、夢窓疎石が建長寺にあった正続院を円覚寺に移しています。)
大慈寺跡碑
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舎利殿は、鎌倉の禅宗様建築では最古のもので、昭和26年6月9日、鎌倉の建造物では唯一国宝に指定されています。
普段は、正続院の門から先に立ち入ることは出来ませんが、11月に行われる宝物風入の時などに拝観することができます。
また、横浜にある神奈川県立歴史博物館には、舎利殿が復元され、内部の様子も詳しく見ることができます。
※平成23年5月1日から5日まで舎利殿の前まで拝観が可能です。
円覚寺舎利殿
https://www.yoritomo-japan.com/shariden.htm
正続院
https://www.yoritomo-japan.com/tera-emgakutatyyu-shozokuin.htm
円覚寺
https://www.yoritomo-japan.com/page138engakuji.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html