別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2012年2月14日火曜日

源頼朝の御所に狐が入り込んだ日。

『吾妻鏡』によると、1186年(文治2年)2月4日、鶴岡八幡宮別当の円暁が三宝荒神を供養する法会を行っています。

放会を行った理由は以下のとおりです。




理由その1
~頼朝の寝所に侵入した狐~


大倉御所の北山で狐が子を産み、その子が頼朝の寝所に入ってきたので、占わせたところ「不快」と出たそうです。

(参考)

2月4日は、頼朝の宿敵平清盛の命日。

その忌日に狐が御所に入り込むという「怪」が起きました。

平清盛は、「貴狐天王」を弁財天の化身として尊崇し、栄達をとげたといわれています。

※貴狐天王は、一般に白狐に乗る天女の姿で表されています。


『源平盛衰記』によれば、

ある時、清盛が蓮台野で大きな狐を見つけたので、弓で射とうとすると、狐はたちまち女に変じて、にやりと笑うと・・・

「私の命を助けてくれたなら、あなたの願いをかなえてあげましょう」と語ったそうです。

清盛が「どのような人であるか」を問うと、「七十四道中の王」と答えたといいます。

清盛は、貴狐天王であることに気付き、馬から下りて敬服すると、女は狐の姿に戻り、鳴きながら去っていったそうです。

その後、清盛は、貴狐天王の修法を行ったといわれています。



理由その2
~怪異現象~


去年来、しきりに怪異が起こっていました。

(参考)

『吾妻鏡』によると

12月28日、甘縄辺に所司次郎と呼ばれる男が住んでいました。

真夜中に戸を叩いてこの男を呼ぶ声がしたので、男が戸を開けに出ます・・・

しばらく声がしないので家の者が見に行くと、板戸のところで頓死していたという怪異が起こっています。

これより少し前にも、鶴岡八幡宮別当坊の下僧が夜道を歩いていて「頓死しかけて蘇生する」という事件があったそうです。

下僧の話では、大きな坊主と行き会い、いきなり抱きとめられたのだといいます。

しかし、その下僧は、生き返ったものの死人同然だったそうです。

また、北条政子に仕える下野局が、

景政と名乗る翁が頼朝に、崇徳上皇が天下を祟っていますが、私が制止しようとしても聞いてくれません。だから、鶴岡八幡宮の別当に話して下さい」

と頼む夢を見たといいます。

このことを聞いた頼朝は何も言わなかったそうですが、甘縄の男のことも、下僧のことも天魔の仕業として、鶴岡八幡宮別当に国家安泰の祈祷を命じています。



理由その3
~高僧の夢告~


頼朝は、前年11月15日、弟義経に「頼朝追討の院宣」を下した後白河法皇の弁解に対し、「日本国第一の大天狗はさらに他に居申さぬ」と罵ったといいます。

そんな折、頼朝の夢に身分の高い僧が現れて「後白河法皇を重んじなさい」と告げたといいます。

頼朝は、後白河法皇を罵ったことをかなり気にしていたのでしょうか・・・。

参考までに、後白河法皇平清盛と同様に貴狐天王の修法を行っていたといいます。



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