源頼朝墓
報道によると、2012年(平成24年)2月11日昼過ぎ、法華堂跡の「源頼朝墓」が破壊され、容疑者の男が逮捕されたそうです。
「源頼朝墓」は、1779年(安永8年)、薩摩藩の島津重豪が建てた多層塔ですが、1989年(平成元年)にも何者かによって破壊され修繕が加えられています。
層塔の最上部が破壊された源頼朝墓
「源頼朝墓」を中心とする「法華堂跡」は国の指定史跡。
『吾妻鏡』によると、源頼朝は、1189年(文治5年)7月18日、走湯山(伊豆山権現)の專光坊良暹を呼び出して、聖観音像を本尊とする祈願所を設けることを命じています。
その祈願所が頼朝の「持仏堂」です。
頼朝は、その死後、「持仏堂」に葬られたと伝えられ、以後、「持仏堂」は「法華堂」と呼ばれるようになったといいます。
「源頼朝墓」は、その後廃された法華堂の跡地に建てられました。
(参考:源頼朝の守り本尊~正(聖)観音像~)
被害の状況は以下のとおり。
ロープが張られ「立入禁止」と掲げられています。
一番上の相輪部分が破壊されたようです。
裏側には相輪部と思われる残骸がありました。
左手前の灯籠は倒され、右側奥の灯籠も上部が落とされています。
白旗神社の狛犬も破壊されています。
鳥居の前には狛犬が置かれていましたが・・・
左側の狛犬は、胴体が真っ二つに折られてしまったようです。
右側の狛犬は落ちただけだったのでしょうか・・・?
狛犬が破壊される前の白旗神社
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