鶴岡八幡宮の源氏池の島にある旗上弁財天社は、琵琶橋の辺りにあったものを源頼朝が遷したといわれています。
(北条政子の創建という説もあるようですが・・・)。
頼朝は、1180年(治承4年)に源氏再興の旗挙げをして、鎌倉に武家の都を創り上げました。
頼朝が信仰した弁財天ということで、商運・家運の神として信仰され、近頃では良縁・縁結びの神として信仰されています。
※鎌倉・江の島七福神の一つです。
旗上弁財天社は、明治の神仏分離によって破壊されますが、昭和55年に文政年間の古図をもとに復元されています。
神仏分離では、安置されていた弁財天像も行方がわからなくなったようですが、関東大震災の修理のときに倉庫の中で見つかった弁財天像が存在します。
現在、鎌倉国宝館に寄託されている「裸弁財天」です。
この弁財天像がもともと旗上弁財天社に安置されていた像ではないかともいわれているようです。
1226年(文永3年)、舞楽師中原光氏が舞楽院に奉納した仏像。
裸形彫刻で「裸弁財天」として知られています。
国の重要文化財に指定されています。
社の後方に置かれた石。
「政子石」とも呼ばれる石で、夫婦円満と子宝の祈願石だということです。