別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年8月15日月曜日

相撲を奨励した源頼朝

相撲は、古来より神道における神事として行われてきました。

また、武芸でもあります。

鎌倉時代にも盛んに行われた神事・武芸でした。

鶴岡八幡宮では、流鏑馬、競馬(くらべうま)などとともに行われていたようです。


~頼朝、上覧相撲を催す~

『吾妻鏡』によれば・・・

1189年(文治元年)4月3日、源頼朝鶴岡八幡宮で相撲を催しています。

これが、将軍上覧相撲のはじまりといわれています。

頼家実朝も相撲見物を楽しんでいたようです。


~河津祐泰VS俣野景久~

『曾我物語』によれば・・・

1176年(安元2年)、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるための「狩猟」が催されました。

その折の余興で相撲が行われます。

相撲の名手といわれた俣野景久は21連勝し、最後の挑戦者が力自慢の河津祐泰でした。
河津祐泰は、連勝の俣野景久を、のちに「河津掛」と呼ばれる技で破ったといいます。

(参考)

河津祐泰は、この狩りの帰路、工藤祐経によって殺されています。

所領争いが原因だったといわれています。

祐泰の父は伊東祐親、子には、「曾我兄弟の仇討ち」で名を残した十郎祐成・五郎時致の兄弟がいます(参考:相模の武将「曾我兄弟」)。

一方負けた俣野景久は、石橋山の合戦での佐奈田与一義忠との死闘で知られてます。

(参考:俣野観音堂


 河津祐泰の墓
(伊東市東林寺)


~畠山重忠、対戦相手の肩を砕く!~

『古今著聞集』によれば・・・

怪力畠山重忠は、源頼朝から東国最強といわれた長居という力士との対戦を命じられます。

このとき、重忠は、金剛力をふるって長居の肩を砕いたと伝えられています。