別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年7月11日月曜日

鎌倉本覚寺二世の日朝上人

小町大路滑川に架けられた橋は、夷堂橋といって鎌倉十橋の一つに数えられています。

源頼朝が幕府の鬼門除けのために夷神を祀った夷堂の前に架けられた橋であることから、夷堂橋と名付けられたといいます。

夷堂橋と本覚寺
本覚寺は、夷堂の寺域に建てられた寺で、
開山の日出が天台宗から日蓮宗に改宗しました。
日出は・・・
鎌倉公方足利持氏に捕らえられ飢渇畠で処刑されそうになりますが、
「日出を助けよ」という夷神からのお告げがあって許されたといいます。
https://www.yoritomo-japan.com/page043honkakuji.htm

日出は、伊豆国宇佐美(現在の伊東市)で鏡澄丸という少年に出会います。

聡明な少年だったことから弟子にして鎌倉に連れ帰ったといいます。その少年が日蓮の再来とまでいわれるようになる日朝でした。


本覚寺二世となったのち、身延山久遠寺の法主となった日朝は、
開山日出より知られる存在となります。
本覚寺も「日朝さま」として親しまれてきました。

日蓮の分骨堂
日朝は、身延に遠い信者のために本覚寺日蓮の遺骨を分骨します。
そのため、
本覚寺は「東身延」とも呼ばれるようになります。

本覚寺は、眼病平癒の神としての信仰も集めています。

重い眼病にかかった日朝が、法華経の力で完治したことから、「眼の神さま」として知られるようになりました。

古い書籍によると・・・
7月24日には日朝上人大会(大法会)が催されるとのことですが・・・


分骨堂前のしあわせ地蔵




本覚寺
https://www.yoritomo-japan.com/page043honkakuji.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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