1894年(明治27年)、小説家・夏目漱石は、円覚寺塔頭の帰源院に止宿します。
失恋や肺結核の影響で神経衰弱となり、治療するための参禅だったといわれています。
(円覚寺塔頭)
傑翁是英の塔所です。
漱石はここに止宿し、当時円覚寺管長だった釈宗演に参禅します。
このとき、のちに釈宗演の弟子となる鈴木大拙も参禅していました。
平成6年11月9日、東慶寺門前に建立された碑です。
漱石が参禅した釈宗演は東慶寺に眠っています。
1910年(明治43年)、漱石は小説『門』を朝日新聞に連載します。
『三四郎』、『それから』に続く三部作最後の作品です。
この『門』に参禅した時の様子が描かれています。
~小説『門』より~
山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮っているために、路が急に暗くなった。
その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚った。
静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の寒気を催した。
帰源院には、漱石が詠んだ「佛性は白き桔梗にこそあらめ」の句碑が建てられています。
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