鶴岡八幡宮の西、馬場小路を小袋坂へと向かう途中にある我が国曹洞禅の開祖道元の顕彰碑です。
只管打坐(しかんたざ) 「ただひたすらに坐禅すること。」という意味なのだそうです。 |
道元
道元の素性ははっきりとしないようですが、
父が源通親、母が藤原基房の娘といわれています。
1214年(建保2年)比叡山で出家。
1217年(建保5年)建仁寺の明全(栄西の弟子)に師事します。
そして、1223年(貞応2年)、明全とともに宋に渡りました。
1228年(安貞2年)に帰国、我が国曹洞宗の開祖となりました。
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1247年(宝治元年)、道元は越前永平寺を出て、鎌倉教化に出掛けます。
五代執権北条時頼の要請があってのことといわれています。
道元としては、時の最高権力者を教化することで「日本の政治を変える」という思いがあったのかもしれません。
道元は半年間、鎌倉に滞在し懸命に法を説きますが思うような教化はできず、1248年(宝治2年)、時頼が寺を建て開山に迎えようとしたのを断って永平寺へ帰っていきました。
のちに時頼が寺への寄進を申し出ますが、それも断ったといいます。
参考:道元の鎌倉教化
~道元が時頼に与えた歌といわれています・・・~
(教外別伝)
あら磯の波もえよせぬ高岩にかきも付すべきのりならばこそ
(不立文字)
いい捨てしその言の葉の外なれば筆にも跡をとどめざりけり
(本来面目)
春は花夏ほととぎす秋の月冬雪さえて冷しかりけり
(即心即仏)
おし鳥やかもめともまた見えわかぬ立てる波間にうき沈むかな
(応無所住、而生其心)
水鳥のゆくもかえるも跡たえてされども道はわすれざりけり
(尽十方界真実人体)
世の中にまことの人やなかるらんかぎりも見えぬ大空の色
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(京都:建仁寺)
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