別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年9月9日金曜日

草の戸や日暮れてくれし菊の酒~芭蕉句碑~




「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」

松尾芭蕉が1691年(元禄4年)9月9日の重陽の節句に詠んだ句。

「草の戸」は、芭蕉が滞在していた義仲寺無名庵のこと。

夕暮れになって、その無名庵に門人の川井乙州(おとくに)が酒一樽を届けてくれました。

重陽の節句には菊花酒(酒に花を浸した酒)を飲む風習があって、健康長寿を願ったのだといいます。




1694年(元禄7年)10月12日、芭蕉は大坂御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で亡くなりました。

遺骸は、遺言により義仲寺木曽義仲の墓の隣に葬られたそうです。









☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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誅殺された畠山重忠の末子・重慶


(埼玉県ときがわ町)


畠山重忠の末子・重慶は、1205年(元久2年)、父の重忠が北条時政の謀略により武蔵国二俣川で討死すると、慈光寺に登って別当を勤めたのだといいますが・・・



『吾妻鏡』によると・・・

1213年(建暦3年)9月19日、日光山二荒山神社別当の弁覚の使者が鎌倉に到着します。

報告された事は、畠山重忠の末子重慶が日光山の麓に住んで謀反を企てているというもの。

その事を伝えられた将軍源実朝は、長沼宗政に重慶を捕まえてくるよう命じたのですが・・・


9月26日、宗政が下野国から重慶の首を持って帰着。

実朝

畠山重忠は罪もないの討たれた。

その末子が謀反を企てたとするなら、捕虜にして調べるべきであるのに殺してしまうとは・・・」

と嘆いたのだとか。

その事が宗政に伝えられると

「重慶の謀反は疑いない。

生け捕ってくると、政子様や女官の願いで許されてしまうだろう。

だから殺した」

と主張。

さらに、

「当代は、蹴鞠を業として、武芸は廃れたようなもの。

女官を部下とし、勇士はないのと同じ」

などの無礼な言葉を吐いて御所を去ったのだとか。



畠山重忠


畠山重忠の乱








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2022年9月8日木曜日

秩父武綱と源氏の白旗と畠山重忠


畠山重忠の高祖父・秩父武綱は、武蔵国秩父郡吉田郷に吉田城を構えて秩父牧を支配した武将。

源頼義義家父子にい、1051年(永承6年)の前九年の役では頼義から源氏の白旗を賜り、1083年(永保3年)の後三年の役では先陣を務めました。

『源平盛衰記』によると、1180年(治承4年)、重忠は武綱が賜った源氏の白旗を掲げて源頼朝の下へ参陣。

重忠が鎌倉入りの先陣を務めたのは、先祖の故事に倣ってのことなのだとか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(東京都渋谷区)

金王八幡宮は、武綱の子河崎基家が創建したと伝えられる社。

基家は武蔵国河崎荘(川崎市)や小机郷(横浜市港北区)などを本領とし、後三年の役の功によりや武蔵国谷盛荘(現在の東京都渋谷)を与えられたのだという。


後に基家の子重家は、相模国渋谷荘(藤沢市・綾瀬市)に移住し渋谷氏を称することに。

頼朝の挙兵に参陣して活躍した佐々木四兄弟を庇護していたという渋谷重国は重家の子。

頼朝の父義朝に従い、常盤御前に義朝の死を知らせたという金王丸も重家の子といわれる・・・




畠山重忠


畠山重忠の乱








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2022年9月7日水曜日

畠山重忠の乱と足立遠元


『吾妻鏡』によると・・・

足立遠元は、1180年(治承4年)の源頼朝挙兵に参じ、最初に所領を安堵された武将。

遠元の所領は武蔵国足立郡。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1205年(元久2年)に畠山重忠の乱が起こった際、遠元がどうしていたのか不明ですが、娘は畠山重忠に嫁いでいました。

となると、何らかの影響を受けたものと考えられます。

かなり時代は下がりますが、後醍醐天皇の建武の新政で足利氏が賜った恩賞地に「北条泰家の武蔵国足立郡」があります。

もしかすると、畠山重忠の乱後、武蔵国足立郡は北条氏の領地になっていたのかもしれません。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


足立遠元が足立郡のどこに館を構えていたのかは不明ですが、埼玉県には館跡と推定されている地が数か所あります。


伝足立右馬允遠元館跡
(桶川市)

桶川市はその推定地の一つ。


六部堂
(さいたま市大宮区)

さいたま市西区植田谷本にある六部堂の西側一帯もその一つ。


(さいたま市大宮区)

足立神社は足立氏が祀ったのだと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(横浜市旭区)

駕籠塚は、畠山重忠の内室といわれる菊の前の墓。

重忠が北条義時らに攻められていることを知った菊の前は、戦場の二俣川に駆け付けましたが、重忠が討たれたことを知って自害したのだといいます。

菊の前は足立遠元の娘とされています。




足立遠元


畠山重忠


畠山重忠の乱








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2022年9月6日火曜日

2022小出川彼岸花まつり







藤沢市、寒川町、茅ヶ崎市を流れる小出川沿いには、約3㎞にわたって彼岸花が咲きます。

2022年の彼岸花まつりは9月24日(土)。


小出川沿いには多くの寺社が多くあるので、歴史好きの人も楽しめます。

特に「鎌倉殿の13人」の一人梶原景時は寒川町にがありました。



小出川の彼岸花







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西方寺のヒガンバナ

日向の彼岸花

常泉寺のヒガンバナ

英勝寺のヒガンバナ


鎌倉のヒガンバナ
ヒガンバナ


鎌倉の紅葉


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2022年9月5日月曜日

盟友安達景盛との戦い~畠山重忠の乱~


『吾妻鏡』によると・・・

1205年(元久元年)6月22日、畠山重忠討伐のため、北条義時葛西清重・千葉常秀・大須賀胤信・国分胤通・相馬義胤・東重胤・足利義氏・小山朝政三浦義村・三浦胤義・長沼宗政・結城朝光宇都宮頼綱・八田知重・安達景盛・中条家長・中条義季・狩野宗茂・宇佐美祐茂・波多野忠綱・松田有経・土屋宗光・河越重時・河越重員・江戸忠重・澁河武者所・小野寺秀通・下河辺行平・薗田成朝らが出陣。

そして、武蔵国二俣川で重忠と出会うと、安達景盛が主従七騎で真っ先に進み出ます。

弓馬の友が先頭を進んでくるのを見た重忠は感動し、子の重秀に景盛との戦いに命を掛けてくるよう命じました。

景盛と重忠の戦いは何度にも及び、加治宗季はじめとする景盛の家人が討たれています。

弓の戦いも刀剣の争いもなかなか決着が着きませんでしたが、愛甲季隆の放った矢が重忠に当たり戦いは終わりました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


安達景盛は、源頼朝の側近だった安達盛長の子。

母は頼朝の乳母だった比企尼の長女丹後内侍。

幕府重鎮の地位を築きますが、源実朝が暗殺されると出家。

大蓮房覚智と号して高野山に入り、実朝の菩提を弔うために金剛三昧院を建立して高野入道と称されました。



(畠山重忠史跡公園)



畠山重忠


畠山重忠の乱








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