別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年5月17日火曜日

源義経の正妻郷御前の父河越重頼の墓がある養寿院~川越~




養寿院は、河越経重が創建した寺院。




河越重頼は、武蔵国河越荘を本拠とした武将。

源頼朝の乳母を務めた比企尼の次女河越尼を妻とし、娘の郷御前源義経に嫁ぎましたが・・・

頼朝と義経が対立すると、所領を没収され、誅殺されました。

養寿院を創建した経重は重頼の曾孫にあたります。






小江戸川越歴史めぐり








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源義経

歴史めぐり源頼朝







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


大物主神社~源義経逗留の地~


大物主神社


大物主神社は、兵庫県尼崎市大物町にある社。


大物主神社


1185年(文治元年)、兄の源頼朝と対立して都を落ちた源義経は、大物主神社近くにあった七軒長屋に逗留したのだと伝えられています。


その後、神社前の大物浦から西国(九州)へ向けて船出した義経は・・・

暴風雨により難破。

四天王寺に宿した後、吉野山へ逃亡したのだと伝えられています。

吉野山に逃げこむ前に、住吉大社の神主・津守長盛の許で一夜を過ごしたとも・・・。



大物主神社


吉野山







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉との繋がりを求めて。
奈良・京都

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


2022年5月16日月曜日

兄弟の亀裂~鎌倉殿の13人第十九話


第19話では、京都の義経堀川館土佐坊昌俊が襲撃。

行家頼朝の刺客だとして挙兵を勧め、後白河法皇は二人に頼朝追討の宣旨を出しました。

しかし、兵が集まらない義経は都落ち。

すると、後白河法皇は義経追討の宣旨を・・・

頼朝時政を京都守護として上洛させ、義経追捕のための守護・地頭の設置を認めさせます。

次回は、義経奥州平泉藤原秀衡のもとに。

そして、鎌倉では静御前が舞います。




(京都)

若宮八幡宮は、源頼義源氏堀川館石清水八幡宮を勧請して創建したのをはじまりとする神社。

源頼朝も崇敬し、上洛の時に参拝したと伝えられています。



(京都)

源氏累代の館跡(六条堀川館)。

現在では、この「左女牛井之跡碑」が唯一の遺跡です。

左女牛井(さめがい)は、六条堀川館にあって、平安時代から知られた井戸だったそうです。


大物主神社
(尼崎市)

源頼朝と対立して都を落ちた源義経は、大物主神社近くにあった七軒長屋に逗留したのだと伝えられています。

その後、神社前の大物浦から西国(九州)へ向けて船出した義経は・・・

暴風雨により難破。

四天王寺に宿した後、吉野山へ逃亡したのだと伝えられています。

吉野山に逃げこむ前に、住吉大社の神主・津守長盛の許で一夜を過ごしたとも・・・。


花矢倉
(奈良)

源頼朝の追手から逃れるため吉野山に籠った源義経

寵愛していた静御前も連れていましたが・・・

二人はここで別れます。



源義経

土佐坊昌俊の源義経襲撃

吉野山

源義経をめぐる京都

静の舞


奥州平泉


歴史めぐり源頼朝







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com


2022年5月15日日曜日

勝長寿院に葬られた源義朝の髑髏


勝長寿院は、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために建立した寺院。

頼朝は、建設中の勝長寿院に父義朝の廟所を設けるため、後白河法皇に義朝の首の探索を依頼していました。


勝長寿院跡


『吾妻鏡』によると、

1185年(文治元年)8月12日、後白河法皇は、刑官に命じて、東の獄門の辺りで義朝の髑髏(しゃれこうべ)を見つけ出させ、義朝の郎党鎌田政清の髑髏(しゃれこうべ)とともに、大江公朝に持たせ鎌倉へ向かわせています。


8月20日、義朝の遺骨を葬るに当たっての法事を行うため、伊豆山権現の專光坊良暹が鎌倉に到着。


8月30日、大江公朝が鎌倉に到着。

遺骨は、文覚の弟子が首にかけていました。

頼朝は、片瀬まで出迎えて、父義朝と鎌田政清の髑髏(しゃれこうべ)を受け取ったそうです。


本蓮寺
(片瀬)

本蓮寺は、頼朝が再建した寺で、義朝の遺骨を受け取った場所ともいわれています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


そして、9月3日午前0時頃、頼朝は、義朝と政清の遺骨を勝長寿院に葬りました。

立ち会ったのは大内義信、毛利頼隆、大内惟義らの源氏のみ。


義朝と政清の五輪塔
(勝長寿院跡)


大内義信は、新羅三郎義光の四男で、平治の乱で義朝に従い、敗戦後、東国に逃れる義朝に従った七人のうちの一人でした。

毛利頼隆は、八幡太郎義家の孫で、父義隆は平治の乱で義朝の身代わりとなって討死しました。

大内惟義は、新羅三郎義光の孫で大内義信の長男。


一緒に葬られた鎌田政清は、義朝の第一の郎党で、政清の母は義朝の乳母でした。

そのため、義朝と政清は乳兄弟とも呼ばれていました。

平治の乱後、東国に逃れようとする義朝に従っていましたが、尾張国野間長田忠致の裏切りに遭い、義朝とともに暗殺されています。



源義朝

源義朝終焉の地

歴史めぐり源頼朝







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


よりともジャパン.com