別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年4月30日土曜日

藤原秀衡~源義経を匿った北方の王者~


藤原秀衡


藤原秀衡は、奥州藤原氏の三代当主。

源義経を二度にわたって庇護した北方の王者。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

1174年(承安4年)に鞍馬寺を出奔して平泉へ下ってきた源義経を匿い、1180年(治承4年)に源頼朝が挙兵すると、頼朝のもとへ駆けつける義経に佐藤継信・忠信の兄弟を付けて送り出しました。

その後、義経は、木曽義仲追討一ノ谷の戦い屋島の戦いで活躍し、1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしますが、間もなく頼朝と対立して逃亡生活を送るようになり、1187年(文治3年)の春頃、再び平泉の秀衡のもとに戻ってきました。


しかし、その年の10月29日・・・

北方の王者・藤原秀衡平泉館で亡くなります。

『吾妻鏡』には、「義経を大将軍として国務せよ」と嫡子の泰衡をはじめとする子らに遺言していたことが記されています。

また、『玉葉』は、長男国衡と次男泰衡に対して「源義経を主君として仕え、ともに団結して頼朝の攻撃に備えよ」と遺言し、

後継者は次男の泰衡(正室の子)とし、長男国衡(側室の子)には、秀衡の正室を娶らせ、互いに異心をもたない旨の起請文を書かせ、義経にも起請文を書かせたことを伝えています。


ところが、秀衡の跡を継いだ泰衡は・・・

頼朝からの圧力に屈し、義経の首を頼朝に差し出すことで平泉の平和を守ろうと考えるようになります。

そして、1189年(文治5年)閏4月30日、義経衣川館を襲撃し、義経を自刃に追い込みました。


その年の9月、泰衡は頼朝に攻められ、比内郡贄柵で最期を遂げています(奥州藤原氏の滅亡)。



藤原秀衡


奥州平泉

源義経

奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~

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2022年4月29日金曜日

2022開成町あじさいまつり




開成町のあじさいの里は、田植えを終えたばかり水田とアジサイの風景を楽しむことができる所。

農道や水路沿いで約5000株のアジサイが植栽されています。

毎年開催されているあじさいまつりは、6月4日(土)から12日(日)までの9日間。



あじさいの里



開成町あじさいまつり

小田原城あじさい花菖蒲まつり








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉アジサイの名所


長谷寺のアジサイ


明月院のアジサイ

明月院のハナショウブ



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源義経が過ごした鞍馬寺


鞍馬寺


源義経は1159年(平治元年)、河内源氏の棟梁・源義朝の九男として誕生しました。

母は常盤御前

幼名は牛若。

生まれた年に起こった平治の乱で父義朝が敗れたことにより、11歳のときに鞍馬寺に預けられました(7歳のときとも。)。

稚児名は遮那王。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


牛若丸に兵法を授けたといわれる武芸の達人・鬼一法眼を祀っています。


川上地蔵尊

牛若丸の守り本尊といわれる地蔵尊が祀られています。



牛若丸が住んでいたという東光坊の跡に建てられた供養塔。

牛若丸は、ここから毎夜、修行のため奥の院まで通っていたそうです。



奥の院へ向かう途中の牛若丸が、喉の渇きを潤したという泉。



奥州平泉へ下ることとなった牛若丸が、名残を惜しんで背を比べた石といわれています。



僧正が谷は、牛若丸と鞍馬天狗が出会った場所といいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

牛若丸が鞍馬寺を出たのは1174年(承安4年)のこと。

鏡の宿で自ら元服して義経を名乗り、奥州平泉藤原秀衡のもとへ向かいました。

1180年(治承4年)に異母兄の源頼朝が挙兵すると、奥州を後にして、頼朝のもとに馳せ参じます。

木曽義仲追討一ノ谷の戦い屋島の戦い壇ノ浦の戦いで活躍しますが、平家を滅亡させた後、頼朝と対立。

逃亡生活を続けた末、再び奥州平泉の秀衡を頼りました。

しかし、秀衡死後の1189年(文治5年)閏4月30日、秀衡の子泰衡に急襲され、衣川館で自刃(享年31)。



奥州平泉衣川館で最期を遂げた源義経の魂は、鞍馬に帰ってきたと信じられています。

そして、遮那王尊として祀られています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆




源義経


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2022年4月28日木曜日

日本一の宣旨を賜った静の舞~義経と静が出会った神泉苑の雨乞い~


『義経記』によると・・・

源頼朝三島大社を参拝した時の事。

その道中で河越重頼が「静御前の舞を見たかった」と話します。

梶原景時は「日本一の舞」と語ります。

頼朝が「大げさな話だ。どこで舞って日本一と言われたのか?」と問うと、景時は次のように説明したようです。


「一年で百日の日照りが続く年がありました。

賀茂川・桂川の水は流れず、井戸の水も絶えました。

慣例によって比叡山三井寺東大寺興福寺などの高僧が神泉苑で仁王経を唱えましたが、八大龍王は願いを聞き入れてくれませんでした。

続いて、ある者が

「容貌がすばらしく美しい白拍子100人を神泉苑に集めて、後白河法皇の行幸を仰いで舞わせれば、竜神が願いを聞いてくれましょう」

と言うので、100人の白拍子を舞わせることにしますが、99人が舞っても効果がありません。

残るはただ一人。

「静が舞っただけで竜神が願いを聞き入れてくれるのだろうか」

という意見もあったようですが、後白河法皇は「人数のうちならば舞わせよ」と命じます。

そして、が舞うと・・・

山々から黒雲が湧きあがり、八大龍王が現れ、稲妻が光り、三日間も雨が続き、国土が安寧になり、法皇は静の舞に「日本一」の宣旨を与えたのです・・・」


この雨乞いの舞を見ていたのが源義経

静は神泉苑の雨乞いの舞の時に義経に初めて会い、堀川の御所へ呼ばれたのだとか。





神泉苑は、雨乞いの霊場であり、疫病が流行した際には御霊会が修されてきた霊場。

池に架かる朱塗りの橋は法成橋。

源義経静御前が出会った場所と言われています。

5月2日から4日までの間、神泉苑祭が開催され、5月3日には法成橋で静御前の舞が奉納されるようです。




静御前

源義経

後白河法皇


北条政子を感動させた静の舞

母と子の悲しい運命


源義経をめぐる京都


祇園祭







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