源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
大河ドラマゆかりの史跡・寺社の情報も。
別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
2022年2月8日火曜日
源頼朝を助けた伊豆国の武将たち~石橋山の戦い~
石橋山
で大敗した
源頼朝
は椙山の杉山の堀内という辺りに陣取りました。
加藤景廉
と大見実政が三千騎を率いて追いかけて来る
大庭景親
の軍を防ぎます。
景廉の父景員や実政の兄政光も子や弟を思って留まって防戦しました。
加藤光員・
佐々木高綱
・
天野遠景
・天野光家・
堀親家
・堀助政も同様に戦い、多くの兵を討ち取りました。
頼朝
も何度も戦い、放つ矢は百発百中で、羽まで突きとおり、多くの兵を射殺したのだとか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年の大河ドラマ
北条宗時慰霊のために北条時政が造立させた阿弥陀三尊~函南町~
阿弥陀三尊像
(かんなみ仏の里美術館)
「かんなみ仏の里美術館」に収蔵されている「阿弥陀三尊像」は、鎌倉時代のもので実慶の作(重要文化財)。
石橋山の戦い
で討死した
北条宗時
の慰霊のために父の
北条時政
が造立させ、宗時の墳墓堂に安置されたものではないかと伝えられています。
実慶は、奈良の
興福寺
を本拠とした「慶派」の仏師。
運慶
の父康慶の弟子で、運慶と同じ時期に活躍していたものと推定されています。
時政は、
願成就院
の諸仏を運慶に依頼していますので、宗時のために慶派仏師に造仏を依頼したとしてもおかしなことではありません。
修禅寺
の大日如来像も実慶の造仏です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年の大河ドラマ
2022年2月7日月曜日
石橋山で大敗、北条宗時討死!~「鎌倉殿の13人」第五話
山木館
を襲撃して目代の
山木兼隆
を討った
源頼朝
は相模国へ進軍しますが、
石橋山
で
大庭景親
・
伊東祐親
らの平家軍に大敗。
土肥山中に逃亡。
北条時政
と
北条義時
は、
武田信義
の援軍を得るため甲斐国へ。
北条宗時
は
北条
へ帰ろうとしますが、工藤茂光とともに討たれてしまいました。
兄宗時と「坂東武者の世を創り、そのてっぺんに北条がたつ」と約束した義時。
絶体絶命の危機をどうだっするのか。
伊豆山権現
に匿われている
政子
や伊東に戻った
八重姫
はどうなる・・・
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
石橋山古戦場
(小田原市)
石橋山の戦い
では、先陣を切った
佐奈田与一義忠
が討死。
佐奈田霊社
(石橋山古戦場)
佐奈田霊社
は
義忠
を祀っています。
文三堂
(石橋山古戦場)
文三堂
は
義忠
の郎党文三を祀っています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しとどの窟
(湯河原町)
しとどの窟
は、
石橋山の戦い
に敗れた頼朝が隠れ潜んだという岩窟。
頼朝はここに守り本尊の
聖観音像
を置いて逃げたのだと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
北条宗時の墓
(函南町)
『吾妻鏡』によると、
北条宗時
は土肥から桑原を経て平井へと向かおうとしたときに討たれました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
伊豆山神社
(熱海)
政子らは
伊豆山権現
(現在の伊豆山神社)に匿ってもらっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年の大河ドラマ
湯河原の小道地蔵堂~石橋山の戦い:源頼朝伝説~
小道地蔵堂
小道地蔵堂は、
源頼朝
の伝説が残された堂。
もとは星ヶ山の中腹にあったが焼失し、現在地に再建されたのだという。
伝説によると・・・
1180年(治承4年)8月、
源頼朝
は
石橋山
で
大庭景親
と
伊東祐親
らに大敗。
星ヶ山の純海和尚は、助けを求めてきた頼朝一行を堂の床下に隠した。
そこへ大庭景親の軍勢が押し寄せ、頼朝の行方を聞き出すため純海和尚を拷問にかけるが、和尚は頼朝の事を話す事なく息絶えてしまったのだという。
騒ぎが静まり、床下から出てきた頼朝が眼にしたものは、哀れな純海和尚の姿。
純海和尚を膝に抱きかかえ愛憐の涙を流す頼朝。
その時、頼朝の涙が純海和尚の喉元に落ちた。
すると、純海和尚は息を吹き返したのだという。
のちに頼朝は純海和尚の忠誠に報いるために寺領を寄進。
堂の名は小道山頼朝寺とされたのだとか。
宝篋印塔
小松石の宝篋印塔には、小道地蔵堂の由来が刻まれている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年の大河ドラマ
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