別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年12月9日木曜日

鎌倉:長谷寺の紅葉2021/12/09




かなり落葉が進みましたが・・・

そこが「鎌倉冬紅葉」。























長谷寺の紅葉

長谷寺ライトアップ

長谷寺







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉の紅葉


鶴岡八幡宮の紅葉

源氏山公園の紅葉

旧一条恵観山荘の紅葉

本堂後庭園:北鎌倉明月院


北鎌倉の紅葉


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

納めの観音

長谷寺万灯祈願


1月9日放送開始
鎌倉殿の13人


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三条東殿遺址~平治の乱勃発の地~




1159年(平治元年)、後白河院政派と二条親政派が対立し、さらに院内部でも信西と藤原信頼が対立します。

そして、12月9日、藤原信頼と組んだ源義朝は、後白河上皇の院御所「三条殿」を夜襲。

後白河上皇を連れ去って幽閉し、信西を殺害。

信西追討の恩賞として播磨守に任官され、嫡子頼朝は右兵衛佐に任ぜられました。

しかし、12月27日、二条親政派の平清盛に敗れ、後白河院政派は壊滅。

義朝は都を落ちて東国へと向かいますが、尾張国野間で家臣に暗殺されています。

頼朝は捕えられて伊豆国流罪となりました。


三条東殿遺址は、後白河上皇の院御所があった地で、平治の乱の勃発の地。

三条通の東西には三条殿と呼ばれる御所があって、三条東殿・三条西殿と呼ばれていたそうです。

三条東殿は、白河法皇・鳥羽上皇・後白河上皇の院御所となりました。

義朝の夜襲で多くの官女が三條東殿の井戸に入って非業の死をとげたと伝えられています。



後白河法皇

源義朝








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉との繋がりを求めて。
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源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝

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特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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2021年12月8日水曜日

今日は釈迦が悟りを開いた日~成道~


(浄光明寺)


29歳で出家し、約6年間にわたって断食と坐禅の日々を送り、35歳の時に菩提樹の下で悟りをひらいたというお釈迦さま。

悟りをひらいた事を「成道」(じょうどう)といいます。

成道の日とされる12月8日には「成道会」が行われます。



極限の苦行・禁欲(断食)を行っている姿。

建長寺の釈迦苦行像は、パキスタン北西部地方のガンダーラ文明の遺産でラホール中央博物館に安置されている像をもとに製作されたもの。

2005年に愛知万博に陳列された後、建長寺に寄贈されました。

法堂に安置されています。



鎌倉初詣特集

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2021年12月5日日曜日

北条義時の母


『真名本 曽我物語』には、「北条時政の先妻は、鎌倉殿の御台盤所の母」という記述があります。

鎌倉殿は源頼朝

御台盤所は北条政子


「曽我兄弟の父方の伯母」という記述もあります。

曽我兄弟の父は河津佑泰

河津佑泰は伊東祐親の嫡男。


とすると、北条時政の先妻は伊東祐親の娘で、北条政子北条義時の母ということになります。


では、政子と義時の母は祐親の何女なのか?

『真名本 曽我物語』には、こんな記述も・・・

「伊東祐親には四人の娘がいて、第一は三浦義澄に、第二は土肥遠平に嫁ぎ、第三と第四の娘は親の許にある」

三の妃は美女で源頼朝と結ばれた・・・」

とすると・・・

第四の娘ということになりますが・・・

政子や義時の誕生年からすると、そんなはずがありません。

「鎌倉殿の13人」の時代考証を担当する坂井孝一先生は、この記述は後妻が産んだ娘の事であって、政子と義時の母は先妻が産んだ娘だと推定しています。




政子と義時は、この場所で生まれました。





北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~

源頼朝配流の地・北条氏発祥の地


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伊東で源頼朝伝説







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源頼朝や北条政子が拝した薬師如来~日向薬師~




日向薬師(宝城坊)の本尊「木造薬師如来両脇侍像」は「鉈彫り」(なたぼり)と呼ばれる技法で造られています。

「鉈彫り」は、仏像の表面にノミ痕を残す技法。

造られたのは平安時代中期(10世紀末から11世紀初頭)と考えられています。


大姫の病気治癒を願って参詣した源頼朝や、源実朝の妻坊門信子と参詣したという北条政子が拝したものと思われます。

もしかしたら随行していた北条義時も拝したかもしれません。







日向薬師



日本遺産:大山詣







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歴史めぐり源頼朝


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