別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年4月9日火曜日

東大寺の大仏造立と石山寺の如意輪観音




743年(天平15年)、聖武天皇は「大仏造顕の詔」を発しますが・・・

東大寺大仏造立にあたっては表面に金を施すため大量の黄金が必要でした。

聖武天皇は、良弁に金の山と信じられていた大和国吉野金峯山で金の産出を祈願するよう命じます。

すると・・・

良弁の夢に蔵王権現が現われてこう告げます。

金峯山の黄金は、弥勒菩薩が出現したときに地を覆うために使うので、大仏のためには使えない。

近江国の湖水の南に観音菩薩が現れる場所がある。

そこへ行って祈るがよい」と。




夢のお告げのとおりに石山の地を訪れた良弁は、巨大な岩の上に聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏(金銅如意輪観音像)を祀って祈願すると・・・

程なく、陸奥国で黄金が産出されて祈願達成。

しかし、観音像を移動させようとしても岩の上から離れない。

そのため、観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の始まりなのだといいます。




石山寺本堂は、珪灰石の岩盤上に建てられています。



珪灰石(けいかいせき)は国の天然記念物。



東大寺と大山寺を開いた良弁の伝説



東大寺


石山寺







☆ ☆ ☆ ☆ ☆


奈良・京都

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝


紫式部

源氏物語

琵琶湖で紫式部・源氏物語


よりともジャパン.com


2024年4月8日月曜日

鎌倉で舞った静御前


静先ず歌を吟じ出して云はく

吉野山峯ノ白雪フミ分テ、入ニシ人ノ跡ゾコヒシキ

次に別物の曲を歌う之後、又和歌を吟じて云はく、

シヅヤシヅ~ノヲダマキクリカヘシ昔ヲ今ニナスヨシモガナ

誠に是社壇之壯觀、梁の塵殆んど動く可し

上下皆興感を催す




京の白拍子だった静御前

源義経に気に入られ妾となりました。


源頼朝と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。

義経一行は九州へ渡るため摂津国の大物浦から船出しますが難破。

わずかな郎党と静を連れて吉野山に身を隠しますが・・・

義経と静は吉野山で別れます。


その後、蔵王堂に辿り着いたところを捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られてきました。

安達新三郎清経邸が宿舎とされたといいます。

そして、頼朝から鶴岡八幡宮で舞うように命じられたのは4月8日の灌仏会のときでした。



静の舞


吉野山 峰の白雪 ふみわけて入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し昔を今に なすよしもがな


神殿の梁に積もった塵をも動かすほどの見事な舞だったそうです。

見ている人は上下の別無く感動をしました。





静の舞


静の舞



鶴岡八幡宮








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


吉野山

金峯山寺


源義経


よりともジャパン.com


2024年4月7日日曜日

藤原為時が一条天皇に奏上した漢詩~越前守となった為時~


996年(長徳2年)正月の除目で淡路守となった藤原為時

しかし、為時は越前守を望んでいたため一条天皇に申文を奏上します。

その中にあったのが

「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」

という漢詩。

「懸命に勉強したのに希望が叶わず、血の涙が襟をぬらしております。

もし、除目の変更があれば、蒼天(一条天皇)に更なる忠勤を誓うでしょう」


この漢詩によって為時は越前守に変更されたのだとか。






996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国へ。

紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。



紫式部公園には、金色の紫式部像が建てられています。



紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語



紫きぶ七橋


光る君へ 越前 大河ドラマ館


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


よりともジャパン.com


石山寺と紫式部展~紫式部をめぐる人々~




紫式部石山寺『源氏物語』を書き始めたと伝えられています。

「紫式部をめぐる人々」では、『石山寺縁起絵巻』の石山詣や紫式部の肖像画、同時代に活躍した人々の和歌などが展示されているようです。




1004年(寛弘元年)、紫式部石山寺に参籠。

琵琶湖に映る月を眺め『源氏物語』の着想を得たのだといいます。

書き始めたのは「須磨・明石の巻」だったのだとか。




石山寺は、聖武天皇の勅願で良弁によって開かれた観音霊場。

観音信者だった源頼朝も信仰し、国宝の多宝塔は頼朝の寄進と伝えられています。




明王院には「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」が設置されています。



世尊院では「源氏物語 恋するもののあはれ展」が開催されています。





紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言



よりともジャパン.com