別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年4月1日月曜日

葵祭と斎王と賀茂斎院(紫野斎院)


葵祭


葵祭は平安時代から続く祭事。

上賀茂神社下鴨神社の例祭です。

祭の見どころは路頭の儀(行列)。

特に斎王代の行列が人気のようです。

斎王代とは、かつて賀茂神社に奉仕していた斎王の代理。

斎王には、未婚の内親王または女王がなっていました。

初代は、嵯峨天皇の皇女・有智子内親王。

第三十五代で、後鳥羽天皇の皇女・礼子内親王が退下するまでの約400年間続きました。

村上天皇の第十皇女・選子内親王は、歴代最長の期間を斎王であり続け、大斎院と称されました。



賀茂斎院跡
(檪谷七野神社)

斎王の住まいは賀茂斎院(紫野斎院)と呼ばれていました。

4月中の酉の日に催された葵祭では、斎王は賀茂斎院を出御し、下鴨神社を参拝した後、上賀茂神社を参拝。

翌日に還御したのだといいます。

1212年(建暦2年)に第35代・礼子内親王が退下した後、承久の乱の混乱などもあって廃絶したそうです。



葵祭




玉依媛命と賀茂別雷大神~賀茂神社由来物語と葵祭~


賀茂祭に供奉した大江広元

四代将軍九条頼経、賀茂祭を見物する!


『源氏物語』~葵の巻~


賀茂祭の還御の行列「いとをかし」



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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越前国一宮・気比神宮~紫式部、越前への旅~




気比神宮は北陸道の総鎮守。

越前国の一宮。

996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。



気比神宮は、1945年(昭和20年)の空襲で主要社殿が焼失してしまいますが、大鳥居は被害を免れ、春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つに数えられています(重要文化財)。






紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

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紫式部年表


藤原道長

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深坂峠を越える時に詠んだ歌~紫式部、越前への旅~




996年(長徳2年)、越前へ下向するため塩津山(深坂峠)を越えていったといわれる紫式部

そのときに詠んだのが・・・

「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと」







紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語









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紫式部


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紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

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2024年3月31日日曜日

琵琶湖北端の塩津神社と祭神の塩土老翁神




越前へ下向する紫式部が参拝したという塩津神社の主祭神は塩土老翁神。

この地域には塩池があって製塩業が行われ、その者たちが塩土老翁神を祀ったことにはじまるのだと伝えられています。

塩土老翁は、日本神話に登場する神。

宮城県塩釜の鹽竈神社の祭神として知られています。



鹽竈神社は、陸奥国一宮。

塩土老翁神は、塩竃の人々に漁業や製塩法を教えたのだと伝えられています。



鹽竈神社の末社・御釜神社も塩土老翁神を祀る社。

毎年7月4日から6日にかけて、古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事」が行われています。












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紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語



光源氏:多賀城・塩竃・名取


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