別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年3月4日月曜日

花山天皇が出家すると為時はどうなる?


「光る君へ」第9話では、安倍晴明花山天皇に出家を勧めていましたが・・・

次回は、花山天皇が宮中から連れ出されるようです。


986年(寛和2年)の寛和の変花山天皇元慶寺で出家しますが、花山天皇の学問も師として式部丞に任じられていた藤原為時は職を失い・・・

996年(長徳2年)に越前守に叙任されるまで官職のない状況が続きます。



(越前市)

996年(長徳2年)、越前守となった為時は、夏ごろに越前へ下向。

紫式部も同行しています。

紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。




紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が建てられています。




紫式部と越前国


紫式部の越前下向



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言



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2024年3月3日日曜日

花山天皇に出家を勧めた安倍晴明~「光る君へ」第9話~


「光る君へ」第8話で、兼家が倒れて長く寝込んでいましたが、それは晴明と仕組んだことでした。

忯子の怨霊が取りついたというのも二人の策略。

それは花山天皇を退位させて、詮子が生んだ懐仁親王を即位させるため。

内裏忯子の霊が兼家に取りついたと噂を流した上で、兼家が正気に戻った後は、忯子の霊が内裏を彷徨っているという設定。

道兼の体のアザも花山天皇の同情を買うため、自分でつけたものでした。

道兼は、兼家がわざと眠ったふりをしていたことも知っていました。

そして、晴明は、忯子の霊を成仏させるため、花山天皇に出家を勧めます。

次回は寛和の変

寛和の変が起きて、まひろの父為時はどうなる???




986年( 寛和2年)6月23日、花山天皇元慶寺で出家しますが、道兼も一緒に出家するはずだったのだとか(寛和の変)。


📎大鏡が伝える寛和の変~藤原道兼に騙された花山天皇~

📎寛和の変の黒幕は…懐仁親王の母・藤原詮子か?厳久とは?

📎花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~




紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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検非違使と放免~光る君へ第9話~


「光る君へ」第9話で道長が直秀を預けた検非違使は、平安京の治安を維持するために設置された検非違使庁の役人。

監視・逮捕・裁判などを行い、別当(長官)・佐(次官)・検非違使尉などの官職がありました。




清少納言の最初の夫・橘則光は検非違使尉に任官されています。

源平合戦の英雄・源義経も検非違使尉に任官されました。


検非違使の下部として働いていたのが「放免」(ほうめん)。

その名のとおり、罪を犯して囚人となった後に計らいをもって放免された罪人。

犯罪者を探索・捕縛・拷問などを担当しました。

しかし、元は罪人。

『今昔物語』には強盗や強姦をした放免の話が載せられています。

「光る君へ」で直秀が殺されたように、殺人も犯していたのかもしれません。

また『徒然草』には、賀茂祭の行列に参加していたことが記され、蜘蛛の網が描かれた水干を着ていたようです。

このような衣装だったのは、常人と区別するためだったそうです(非人だったということ。)。




銭形平次に代表される時代劇で活躍する岡っ引きは、放免が起源。

罪人を捜査機関に入れることで情報収集に役立ったのだとか。









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