別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年3月3日日曜日

海の見える遠い国~直秀が殺された鳥辺野:「光る君へ」第9話~


東三条殿に入った盗賊は、散楽一座の直秀らでした。

道長は直秀らを検非違使に引き渡し、その後、流罪とするよう頼んでいました。

しかし、直秀らは鳥辺野に連れて行かれ、殺されてしまいます。



(源氏物語ゆかりの地説明板)


鳥辺野は平安京の三大葬送地。

平安時代は、「火葬」されるのは上流貴族のみで、「風葬」が一般的。

道長とまひろは、土を掘って埋葬したようですが、当時は、埋葬はせず死体を投げ捨てて自然に腐らせていたようです。

紫式部の時代は、疫病が大流行。

のちに、道隆道兼も疫病で亡くなります(道隆は酒が原因とする説もありますが・・・)

疫病が流行すると鳥辺野には、おびただしい数の死体が捨てられていたそうです。




六道の辻は、平安京三大葬送地の一つ鳥辺野の入口。



六道の辻にある西福寺は、空海鳥辺野の入口にあたる地に地蔵堂を建てたことに始まります。



六道の辻で売られている幽霊子育飴には、若い女が死んだあとに墓の中で出産し、生まれた子を育てるために夜な夜な飴を買いに来たという伝説が残されています。



閻魔大王と交流していたという小野篁は、六道珍皇寺にある井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあった福正寺の井戸から帰ってきたのだといいます(生の六道)。



六波羅蜜寺は、六道の辻に捨てられた死体を供養するために建てられた西光寺を前身としています。




六道の辻から松原通を西へ行くと清水坂。

清水寺の本堂(清水の舞台)からも死体が投げ捨てられていたのだとか。




鳥戸野陵は、のちに、ききょう(清少納言)が仕えることとなる藤原定子の陵墓。

定子は遺体は、六道の辻六波羅蜜寺に安置された後、鳥辺野(鳥戸野)へ運ばれ土葬されたのだと伝えられています。



📎藤原保輔~平安時代の盗賊~

今回もまひろと道長が逢っていたのは・・・
📎満月の夜、まひろと道長が逢っていたのは河原院?~光る君へ第5話~




紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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江の島流鏑馬スケジュール~3月9日・江の島片瀬東浜~


2024年の江の島流鏑馬は3月9日(土)。

江の島の片瀬東浜海岸で行われます。




12:00出陣

12:30江島神社の神事

13:00天長地久の式

13:30騎射開始

14:25凱陣の儀

14:45終了


奉仕されるのは武田流流鏑馬。





流鏑馬に先立って行われる武者行列は、源頼朝の戦勝祈願を再現したもの。

10:00から弁財天仲見世通りを往復します。


📎源頼朝、江の島に弁財天を勧請



江の島流鏑馬



武田流流鏑馬

小笠原流流鏑馬



江の島









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鎌倉の桜


春ぼたん



献詠披講式

観桜会

春の光明寺展


春旅!鎌倉

鎌倉GW特集


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桜と一緒に春ぼたん~鶴岡八幡宮~


桜と春ぼたん


鶴岡八幡宮の神苑ぼたん庭園は、3月16日に開苑の予定。

春ぼたんの上には桜が咲きます。

3月下旬には桜も見ごろとなって、競演を見ることができるのかと。


入園料は500円。

9:00~16:30




春ぼたん



鶴岡八幡宮










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鎌倉の桜


江の島流鏑馬

献詠披講式

観桜会

春の光明寺展


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直秀が語った都の外と紫式部の都の外~光る君へ~


「光る君へ」第8話で、直秀は丹後・播磨・筑紫で暮らしたことがあると語っていました。


「都の外には海がある。

海の向こうには彼の国がある。

晴れた日には彼の国の陸地が見える。

海には漁師がおり、山には木こりがおり、彼の国と商いをする商人もいる・・・

都は山に囲まれた鳥籠だ」





「光る君へ」では、まだ先のことになりそうですが、紫式部は越前に下向します。

当時、越前には彼の国の商人・朱仁聡が滞在していました。

紫式部の父・為時は、彼の国の人と漢詩のやりとりをしたのだといいます。

紫式部も『紫式部集』に「唐人見に行かむといひける人(藤原宣孝)の・・・」と記しています。

恵心僧都も朱仁聡を訪れています。

恵心僧都は『源氏物語』「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルともいわれています。



須磨は、『源氏物語』の主人公・光源氏が蟄居した地。

『源氏物語』は~須磨・明石の巻~から書き始められたともいわれています。

海では、ときどき漁師たちの塩焼きの煙が立ち上っていたようです。




玉鬘神社は、『源氏物語』の登場人物・玉鬘を祀る社。

幼い頃に母の夕顔を亡くした玉鬘は筑紫へ下り、美しい姫に成長して帰京します。

『源氏物語』には、筑紫の詳しい描写がありますが、紫式部が姉君と呼んでいた筑紫の君からの情報を元にしたのかもしれません。









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