別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年1月25日木曜日

五節の舞姫~光源氏と筑紫の五節の贈答歌:『源氏物語』少女の巻~


新嘗祭の豊明節会の日、宮中に参って五節の舞姫たちを観た光源氏は、昔、目を留めた少女(おとめ・筑紫の五節)のことを思い出します。

そして、久しぶりに筑紫の五節へ便りを送ります。


「をとめごも 神さびぬらし 天つ袖 ふるき世の友よ はひ経ぬれば」

(光源氏:あの頃のうら若き舞姫も年をとられたことでしょう。古い友の私も年を重ねてしまったのですから)


「かけていへば 今日のこととぞ 思ほゆる 日かげの霜の 袖にとけしも」

(筑紫の五節:五節の舞についていわれますと、あなたに打ち解けたことが今日のように思われます)


五節の舞姫だった筑紫の五節は、父の大宰府赴任に同行して筑紫へ下向。

筑紫から帰京する際、途中で須磨に蟄居していた光源氏と和歌を贈答しています。









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五節の舞姫~夕霧が惟光の娘に贈った歌:『源氏物語』少女の巻~


大学寮の学生だった光源氏の息子・夕霧は、雲井の雁との失恋で何も興味が持てないでいましたが、五節の夜は二条院に行っていました。

そのとき、五節の舞姫に選ばれて二条院に到着した藤原惟光の娘を屏風のうしろからのぞき見します。

雲井の雁と同じ年ごろで、少し背が高くて、あざやかな美しさでした。

そして、

「あめにます とよをかひめの 宮人も わが心ざす しめを忘るな」

(天上にいらっしゃる豊受姫にお仕えする宮人よ、私があなたを自分のものと思っていることを忘れないでください)

と声を掛けます。

しかし、舞姫(惟光の娘)は誰の声なのか見当もつかず、気味悪く思っている・・・

そこへ世話役の女房たちがやってきたので、夕霧は残念に思いながらその部屋を立ち去ります。


その後、舞姫は典侍(女官)として宮中に参内することが決まります。

ある日、夕霧は舞姫の弟に舞姫が御所に入る日を訪ね、今年のうちに参内することを知ります。

そして、その弟に舞姫に逢わせてくれるよう頼みますが、「姉は男兄弟も近づけない」と断られてしまいます。

仕方がないので手紙を書いて弟に渡します。

「日かげにも しるかりけめや をとめごが あまの羽袖に かけし心は」

(日の光が当たるところでおわかりになったことでしょう。天の羽衣の袖を振って舞ったあなたに惹かれている私の心を)

舞姫は嬉しく思いましたが、手紙を読んでいる所へ父の惟光がやってきてしまいます。

惟光は姉弟を叱りつけますが、夕霧から頼まれた手紙であることを知ると喜びます。

それは、女官にするよりは夕霧の妻とした方が良いから・・・

明石入道になる気でいたらしい。


明石入道明石に流れてきた光源氏に娘(明石の君)を引き合わせています。

明石の君は中宮となる明石の姫君を生んでいます。









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2024鎌倉長谷寺の豆まき~鎌倉長谷寺と大和国長谷寺~





人気の長谷寺の豆まきは、2月3日(土)11:30から。



長谷寺の節分会


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鎌倉の長谷寺は、西国観音霊場三十三所巡礼の開祖・徳道が開いた寺。

本尊は十一面観音

創建当初のは、大和国長谷寺(奈良の長谷寺)の十一面観音と同じ楠の木の霊木で彫られた像だったのだと伝えられています。




大和国長谷寺は初瀬寺とも呼ばれ、平安時代には初瀬詣が盛んに行われました。

藤原道長や女流文学者の紫式部赤染衛門清少納言藤原道綱の母菅原孝標の娘などが参詣しています。




鎌倉の長谷寺は坂東三十三所の札所。

坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが、西国三十三箇所の霊場を観たことで、鎌倉時代初期に開設につながったのだといわれています。



長谷観音の伝説



鎌倉の節分


豆まき発祥伝説

恵方巻き








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吾妻山:菜の花

曽我梅林

あたみ桜

松田町の河津桜

頼朝桜まつり~鋸南町~


鎌倉桜情報


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2024年1月24日水曜日

遍昭僧正の五節の舞姫の歌~天女のように美しい舞姫~


遍昭(良岑宗貞)は、花山天皇が出家した元慶寺を建立し、紫式部が生まれた紫野雲林院の別当を兼ねた僧。

歌人として知られる遍昭は五節の舞姫を見て

「あまつ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」

と詠んでいます。

五節の舞姫たちが天女のように美しく、もっと見ていたいという思いから詠んだ歌のようです。




元慶寺は、868年(貞観10年)、藤原高子の発願により遍昭が開いた寺院。

986年( 寛和2年)6月23日、藤原兼家道兼父子の謀により花山天皇が出家した寺でもあります(寛和の変)。




雲林院は淳和天皇の離宮・紫野院として造営されたのが始まり。

現在は大徳寺の境外塔頭となっていますが、大徳寺は衰退してしまった雲林院の敷地内に建てられた寺です。

雲林院のある地は「紫野」。

『源氏物語』の作者・紫式部は紫野で生まれ育ったのだとか。









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五節の舞姫~源氏物語で描かれた光源氏の舞姫~


五節の舞姫は、新嘗祭の豊明節会で舞を披露する少女(おとめ)。

『源氏物語』では「少女の巻」に五節の舞姫のことが描かれています。


紫式部の時代の五節の舞姫は、公卿2人(三位以上)、殿上人・受領2人(四位以下)から献上されていたようですが、配下の娘が選ばれていたようです。

ただ、『源氏物語』では少し違います。

光源氏は摂津守で左京大夫を兼任している藤原惟光の娘​を献上していますが、按察使大納言・左衛門督・近江守源良清は娘を献上しています。

その理由は、豊明節会の後、女官に採用されることになっていたから。

左衛門督は娘と偽って娘ではない者を献上して問題となったようですが・・・


五節の舞姫を献上する家は名誉なことではありましたが、大きな経済的負担を負い、数か月前から準備を進めていたようです。

光源氏は、付添いの女童たちの装束などを用意させ、二条院東院花散里は宮中に舞姫が参る夜に付き添う女房たちの装束を作らせています。

秋好中宮からも女童や下仕え女房の装束などが献上されました。


光源氏に娘を差し出すよう言われた藤原惟光は迷惑していたようです。

光源氏からは「按察使大納言が妾腹(正妻ではない妻)の娘を舞姫に出すのだから恥ではない」

と言われて困ってしまいますが、女官になれるという保証があったので命に従うこととします。

そして、娘に自宅で舞の稽古などをさせて二条院へ送り出したようです。



(京都市平安京創生館)

豊楽殿平安宮豊楽院の正殿。

豊明節会は豊楽院で行われました。


(大津市)

琵琶湖西岸の唐崎神社は祓の霊場として知られた社。

『源氏物語』~少女の巻~では、五節の舞姫だった近江守源良清は娘が祓を行っています。









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