別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年12月9日土曜日

五十日の祝いで皇子に餅を含ませる藤原道長




1008年(寛弘5年)11月1日、藤原道長土御門邸では、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」が行われた。

禁色の着用を許された少輔の乳母が親王を抱き、御帳台の内で裳唐衣を着た北の方・源倫子が抱きとった。

中宮・藤原彰子は、葡萄染めの五重襲の袿に蘇芳の御小袿を着ている。

そして、道長が餅(もちい)を供した。





紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。

高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。




紫式部と越前国


紫式部の越前下向









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


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琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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2023年12月7日木曜日

五十日の祝いで藤原道長から歌を求められた紫式部




1008年(寛弘5年)11月1日、藤原道長土御門邸では、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」が行われた。

道長の酔態ぶりを見た紫式部宰相の君は、夜の酒宴後、御帳の後ろに隠れたのだが、道長に見つかり「和歌を一首詠めば許そう」と言われる。


紫式部が詠んだ歌が

「いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」

道長の返歌は

「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へとりてむ」






紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。

高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。




紫式部と越前国


紫式部の越前下向









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藤原道長

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2023年12月6日水曜日

藤原彰子に漢学を講義する紫式部

 



幼い頃から漢学の知識があった紫式部

一条天皇からもその学識を評価され、藤原彰子に白居易の新楽府(漢詩)を講義している。




紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。

高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。




紫式部と越前国


紫式部の越前下向









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2023年12月5日火曜日

紫式部の部屋にやってきた藤原道長




1008年(寛弘5年)7月16日、一条天皇の中宮・藤原彰子は、お産のため土御門邸に里下がり。

彰子に仕えていた紫式部は渡殿の東側の戸口近くに部屋を与えられていたらしい。

そこへやってきた藤原道長が部屋の戸を叩く。

無視していたら、翌朝

「夜もすがら くひなよりけに なくなくぞ 真木の戸口に たたきわびつる」

という歌を贈ってきたので

「ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかにくやしからまし」

と返したのだとか。




紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。

高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。




紫式部と越前国


紫式部の越前下向









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