別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年11月23日木曜日

奥津嶋神社~紫式部の歌にも詠まれた航海安全の神~




琵琶湖最大の島・沖島に鎮座する奥津嶋神社は、紫式部の歌にも詠まれた社。

「おいつしま 守りの神や いますらん 波もさわがぬ わらわえの浦」




沖島は、琵琶湖最大の島で琵琶湖を行き交う舟人が航行の安全を祈願する神の島と呼ばれた無人島でしたが・・・

保元・平治の乱で敗れた源氏の落武者7人が流れ着いたことで有人島になったのだといいます。

そのため、奥津嶋神社の神紋は源氏の家紋と同じササリンドウ。












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紫式部


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2023年11月18日土曜日

於大の方と千姫の墓がある伝通院




伝通院は、1602年(慶長7年)、伏見城で死去した徳川家康の生母・於大の方が葬られた寺。

家康増上寺に葬りたかったようですが、増上寺十二世の源誉存応(慈昌・観智国師)が増上寺を開いた酉誉聖聡の師である聖冏ゆかりの地に新たな寺を建立するよう進言したのだといいます。

聖冏(酉蓮社了誉(ゆうれんじゃりょうよ))は浄土宗第七祖。

浄土宗第八祖の酉誉聖聡は千葉氏胤の子で、母は新田義貞の娘と伝えられています。

そして、家康は、新田氏を祖とする源氏を称していました。


於大の方の墓


伝通院には、三代将軍家光の次男亀松や二代将軍秀忠の娘で豊臣秀頼の正室となった千姫も葬られています。


千姫の墓






東照宮



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2023年11月17日金曜日

紫式部の歌~春なれど・・・越前武生~




「春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな」

越前国へ下向した紫式部

「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」

言っていた藤原宣孝(のちの夫)が・・・

年が明けると、

「春になれば氷さえ解けるもの。あなたの心もとけるものだと、どうにか教えてあげたい」

と言ってきたことへの返歌。

「春になりましたが、白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」

(春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません・・・)





「唐人を見に・・・」

紫式部越前国に下向した当時、敦賀の松原客館には北宋の商人・朱仁聡が林庭幹・羌世昌(周世昌)らとともに滞在していました。

松原客館があった正確な場所は不明ですが、気比の松原付近にあったのではないかといわれています。









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紫式部


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紫式部の歌~めぐりあひて・・・~




久々にめぐり会ったと思ったのに・・・

見たのがあなたかどうかも分からない間に帰ってしまった。


7月10日初秋

紫式部は、地方から帰京していた幼い頃からの友に偶然に出逢ったのが・・・

はっきりと確認することができないまま、友は早く沈んでしまう初秋の月と競うように帰ってしまったらしい。




紫式部の邸跡・蘆山寺には、この歌の歌碑が建てられている。









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紫式部


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2023年11月15日水曜日

冷泉院跡~譲位した上皇の御所~




冷泉院は、弘仁年間(810-824)に嵯峨天皇の離宮として造営されたことに始まります。

譲位した上皇の後院(譲位した後の御所)として利用されました。

造営当時の名は「冷然院」でしたが、度重なる火災で焼失したため、「冷泉院」と改められたのだとか。


紫式部『源氏物語』では譲位後の冷泉帝の御所。

鈴虫の巻では、光源氏が訪問しています。










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