別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年10月26日木曜日

洪鐘祭パンフレット~2023年10月29日~


10月29日(日)は、円覚寺弁財天祭礼「洪鐘祭」

9:30~12:30

張子の洪鐘、大神輿、お囃子、面掛行列、稚児行列、僧侶神職ら1000名を超える参加者によるパレードが行われます。








円覚寺の国宝「洪鐘」は、九代執権北条貞時が七日七夜江の島弁財天に参籠して鋳造が成功したというもの。

貞時は、洪鐘鋳造の成功に感謝して円覚寺に弁天堂を建立し、江の島で弘法大師が刻んだと伝えられる弁財天を円覚寺の鎮守として祀ったのだといいます。

そのため、江の島の弁財天と円覚寺の弁財天は夫婦弁天と呼ばれ、61年目ごと(60年に一度)に行われる「洪鐘祭」(おおがねまつり)で出会うことになっています。

 
洪鐘祭は、2020年(令和2年)、庚子年の10月17日(土)・18日(日)に開催予定でしたが・・・

新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となっていました。
 









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洪鐘祭


円覚寺の洪鐘

円覚寺洪鐘祭絵巻

円覚寺



江の島弁財天

江の島




鎌倉の紅葉


宝物風入


円覚寺舎利殿


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吉野水分神社~清少納言・源義経・豊臣秀吉・豊臣秀頼ゆかりの社~





吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とする神社。

清少納言が『枕草子』の中で素晴らしい神の一つに挙げた社。

金峯山寺の僧兵に追われた源義経が逃げ延びた場所とも伝えられています。


楼門
(重要文化財)

豊臣秀頼寄進の湯釜

豊臣秀頼は、父の秀吉がこの地を訪れて授かったのだとか。



本殿
(重要文化財)




幣殿
(重要文化財)

豊臣秀頼寄進の神輿

幣殿に置かれている八角八棟造の神輿は、1604年(慶長9年)に豊臣秀頼が寄進したもの(奈良県指定文化財)。


???


拝殿
(重要文化財)



吉野水分神社









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吉野山


源義経

静の舞



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閑院跡~藤原氏の邸宅・後鳥羽上皇の里内裏・豊臣秀吉の妙顕寺城~




閑院は、平安初期の藤原冬嗣の邸宅が始まり。

平安後期には、高倉天皇が里内裏として使用し、子の後鳥羽天皇は閑院で皇位を承継しています。




西福寺は、閑院跡に建立された真宗大谷派の寺院。




西福寺の山門脇には、「豊臣秀吉妙顕寺城跡」の碑。

妙顕寺は、鎌倉後期、閑院跡に日像が建立した京都で初めての日蓮宗寺院。

1583年(天正11年)、豊臣秀吉は妙顕寺を小川寺ノ内に移転させて二条新邸を築き、聚楽第が完成するまでの京都の政庁としました。

その後、慶長年間に西福寺が建立されます。








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2023年10月25日水曜日

淀殿とお江(崇源院)ゆかりの養源院~伏見城の戦いの血天井~




養源院は、淀殿が父・浅井長政と祖父・浅井久政らの追善のため建立した寺。

妹の崇源院は、大坂の陣で自害した淀殿と秀頼の供養を営んでいます。

間もなく落雷で焼失してしまいますが、崇源院伏見城の遺構を用いて再興。

本堂の天井は、伏見城の戦いで自刃した兵士らの血で染まった廊下を使用しているのだといいます(血天井)。

血天井は、勝林院の塔頭宝泉院・正伝寺・源光庵・瑞雲院・宇治市の興聖寺にも伝えられているようです。








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三河武士の鑑・鳥居元忠~伏見城の戦い~




1600年(慶長5年)、徳川家康の上杉討伐の際、伏見城を任されたのは鳥居元忠でした。

家康が出陣すると、石田三成らが挙兵し、伏見城を攻撃。

元忠は籠城して戦って討死します(伏見城の戦い)。

初めから死を覚悟して伏見城に残って戦った元忠は、三河武士の鑑と称されました。











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関ヶ原の戦い


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