1180年(治承4年)、以仁王が全国の源氏に平家打倒の令旨を発します。
伊豆の流人だった源頼朝は、8月17日に挙兵。
8月20日には相模国へと進軍しますが、8月24日、石橋山で大敗。
山中を彷徨い、一時、箱根権現に身を潜めますが、土肥実平の案内で土肥郷へ下り、8月28日、真鶴から安房国へと船出します。
その途中の山上から実平が見たのは、敵将伊東祐親が放った火によって、実平の本拠土肥郷が燃える光景でした。
我が家が燃えるのを見た実平は、頼朝の前で即興の謡で舞います。
「八幡大菩薩の光を受けて、平家を滅ぼし天下と四方の海を照らせば、我らの子孫も反映する。
我家は何度でも焼けばよい。
頼朝が天下を取れば、土井の杉山の木で造り替えることができる・・・」
実平は源氏の勝利を信じ、子孫の繁栄を願って舞ったのだいいます。
湯河原町で毎年4月に開催されている「源頼朝旗挙げ武者行列」では、五所神社・桜木公園・城願寺で実平の「焼亡の舞」が再現されます。
2026年は4月5日(日)。
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頼朝が安房へ向けて船出した浜は、真鶴町の岩海岸といわれています。
岩海岸に通じる道は謡坂(うたいざか)。
実平は、この坂で頼朝の無事と再起を願って謡い踊ったのだと伝えられています。
真鶴町では3月22日に「源頼朝旗挙祭」が開催されました。
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