「源頼朝旗挙祭」は、かつて、開催されていた「源頼朝旗挙げフェスティバル」の復活版で、2025年(令和7年)から始められたイベント。
企画しているのは一般社団法人MMK。
MMKとは「真鶴(Manazuru)盛り上げよう(Moriageyou)会(Kai)」のという意味なのだそうです。
2026年(令和8年)は3月22日(日)に開催される予定です。
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2025年に岩海岸で開催された「源頼朝旗挙祭2025」の会場には、源頼朝・土肥実平・安達盛長・新開忠氏・土屋宗遠・土肥遠平・岡崎義実の幟旗が掲げられました。
1180年(治承4年)、伊豆国で挙兵した源頼朝は相模国へ進軍しますが、石橋山の戦いで大敗。
山中を彷徨い、一時箱根権現に身を寄せますが、土肥実平の手引きで土肥郷(現在の真鶴町)に辿り着きます。
湯河原町の城願寺の伝説によると、このとき従っていたのは、土肥実平・安達盛長・新開忠氏・土屋宗遠・土肥遠平・岡崎義実・田代信綱だったのだとか。
ただ、真鶴町の伝承では田代信綱は含まれていないようです。
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土肥実平(どひさねひら)は、土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を本拠としていた豪族。
安達盛長(あだちもりなが)は、頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島の流人だった頃からの側近。
新開忠氏(しんかいただうじ)は、土肥実平の子らしい。
土屋宗遠(つちやむねとお)は、土肥実平の弟。
土肥遠平(どひとおひら)は、土肥実平の嫡男。
岡崎義実(おかざきよしざね)は、頼朝が頼りとしていた三浦一族の宿老。
田代信綱(たしろのぶつな):蛭ヶ小島に仕えていた伊豆の豪族。
真鶴漁港にある鵐窟(しとどのいわや)は、頼朝主従が隠れ潜んでいたという岩窟。
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(岩海岸)
土肥郷に辿り着いた頼朝主従は、再起をかけて岩海岸から船出をすることになるのですが、
湯河原町の伝説によると・・・
頼朝は源氏にとって「八騎」というのは不吉な数なので、「七騎」にするよう土肥実平に命じます。
何故、「八騎」が不吉な数なのか?
1159年(平治元年)の平治の乱で、頼朝の父源義朝は平清盛に敗れて八騎で都落ちしますが、義朝は逃亡途中の尾張国野間で暗殺され、頼朝は捕らえられて伊豆国に流されたから。
頼朝の命により実平が下船させたのは、嫡男の遠平でした。
ただ、『吾妻鏡』によると・・・
船出した頼朝の船に乗っていたのは実平のみだったようです。
岡崎義実は頼朝の船出の前日に、北条時政・北条義時・近藤国平らと船出したのだとか。
遠平が下船させられたかどうかは別として・・・
『吾妻鏡』によると・・・
遠平は熱海の秋戸郷に隠れ潜んでいた北条政子に、頼朝が安房国へ渡ったことを知らせる重要な役割を果たしています。
(湯河原町)
湯河原町の城願寺は土肥実平の菩提寺。
七騎堂には「頼朝七騎の像」が祀られています。
(真鶴町岩海岸)
岩海岸にある児子神社には、土肥遠平の子万寿の悲しい伝説が残されています。
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湯河原町では・・・
(4月5日)
夏には・・・
(7月24日・25日)






