別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2025年10月11日土曜日

鎌倉彫18人展~2025 円覚寺宝物風入・鎌倉芸術祭~




円覚寺宝物風入の期間中、選仏場では「現代鎌倉彫作18人の魅力ある作品展」が開催されます。


11月1日(土)~3日(月・祝)
8:30〜16:30
(最終日15:00まで)

入場無料


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


源頼朝が武家の都とし、政治・文化・経済の中心として栄えた鎌倉には、多くの寺院が建立され、仏像の造立もさかんに行われました。

鎌倉に集まった仏師たちは仏像だけではなく、光背・台座・香合・食器・燭台などの仏具も制作していました。


鎌倉彫は、宋の工人陳和卿(ちんなけい)が持ってきた彫漆工芸「紅花緑葉」をもとに、運慶の子康運が作った仏具がはじまりと考えられています。

※「紅花緑葉」とは、朱漆と緑漆を交互に塗り重ね、朱漆の部分に花、緑漆の部分に葉を掘った工芸品のこと。

彫漆工芸は、漆を何百回も塗り重ねた漆の層に彫刻を施すもので、手間も時間もかかり費用もかかりました。

そこで考え出されたのが、木に彫刻してから、その上に漆を塗るという方法。

初めは宋の影響が残されていましたが、次第に日本独自の工芸品へと変化していきました。

それが今に伝わる「鎌倉彫」です。


室町・江戸時代になると茶道の流行によって、仏師たちは茶道具・文具・食器などの調度品を鎌倉彫で製作するようになり、宮廷や武家以外の町人の生活にも広がっていきました。

江戸時代の『三条西実隆日記』には、「鎌倉物」と記されています。

しかし、明治になると神仏分離令が出され、それに伴う廃仏毀釈の運動により、多くの仏師が職を失ってしまいます。

ついには、仏師の家は後藤家と三橋家のみとなってしまいますが、両家は、仏師としての副業であった鎌倉彫を本業とすることにし、パリ、ウィーン、アメリカで開催された万国博覧会に鎌倉彫を出品するなど、新時代の鎌倉彫制作に努力しました。

やがて鎌倉が別荘地、保養地として栄えるようになると、茶托・盆・菓子皿などの日用品としての需要も多くなっていきます。

そして、1979年(昭和54年)、「伝統的工芸品」の指定を受けるに至ります。



鎌倉彫再興碑

鎌倉彫再興碑は、明治の鎌倉彫先駆者、後藤齋宮(いつき)と運久、三橋鎌山と鎌岳の二家の父子を顕彰する碑。

鎌倉時代から扇ヶ谷の壽福寺の門前には、多くの仏所がありました。

再興碑は、かつて仏所があった所に建てられています。




宝物風入


円覚寺







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円覚寺の紅葉

建長寺夜間拝観・紅葉ライトアップ


運慶 祈りの空間


鎌倉の紅葉

北鎌倉の紅葉


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