1185年(元暦2年)、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡。
平家の家人だった平盛久は京都に潜伏していましたが、1186年(文治2年)、清水寺に参詣した帰りに北条時政によって捕らえられ、鎌倉へ送られてきたのだといいます。
主馬盛久之頸坐は盛久が処刑されそうになった地。
伝承によると・・・
文治2年6月、由比ヶ浜で斬首されることとなった盛久ですが、信仰していた清水寺の千手観音に祈り続けると、刀が折れて命拾いしたのだといいます。
清水観音の信者だった源頼朝は、それを聞いて盛久を助命したのだとか。
北条政子の夢に清水寺の高僧が現れて赦免を願ったとも。
寛永寺の清水観音堂の本尊は秘仏の千手観音。
清水寺の千日詣を続けていた盛久が、清水寺に奉納したものと伝えられています。
盛久が処刑されそうになった文治2年は午年。
清水観音の力で命拾いしたのが午の日の午の刻だったのだとか。
そのため、毎年初午に開帳されています。
2026年午年の初午は2月1日(日)。
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