鎌倉で日蓮に帰依した妙一尼・桟敷の尼と日蓮六老僧の日昭・日朗は一族。
實相寺は、工藤祐経の屋敷跡に建てられた寺。
祐経の娘・妙一尼は、下総国印旛郡印東荘を領した印東祐昭の妻で、實相寺開山の日昭の生母と言われています。
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常栄寺は、桟敷の尼の伝説から「ぼたもち寺」と呼ばれている寺。
桟敷の尼は、印東祐昭の子祐信の妻。
桟敷とは、源頼朝が千羽鶴放生会を観覧するために築かれた展望台(桟敷)のことで、祐信の妻は、頼朝の旧跡を管理していたことから「桟敷の尼」と呼ばれたのだといいます。
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光則寺は日朗が開いた寺。
日朗は、印東祐昭の娘が生んだ子(日昭の甥)。
1271年(文永8年)の龍ノ口法難で佐渡に流罪となった日蓮のもとを何回も訪ね、1274年(文永11年)には赦免状を携えて佐渡に渡ったのだと伝えられています。
池上宗仲の協力を得て、日蓮入滅の霊場池上本門寺の基礎を築きました。
宗仲も印東祐昭の娘が生んだ子(日朗の従兄弟)。
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