別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年8月26日月曜日

鎌倉検定過去問~東身延の額:五郎入道正宗と松平定信~


(問)本覚寺所蔵の「東身延」の額の文字を揮毫したのはだれか。


本覚寺は二代日朝が身延山久遠寺にあった日蓮の遺骨を分骨したことから「東身延」と呼ばれている寺です。

「東身延」の額は松平定信によるもの。


松平定信は、八代将軍徳川吉宗の孫。

寛政の改革を行ったことで知られていますが、何故、本覚寺の額を書いたのでしょう?

定信が「熱心な日蓮信者」だったということでもないようです。


定信の祖父・吉宗は刀剣書の『享保名物帳』を編纂させています。

その中には、鎌倉時代から室町時代に鎌倉で活躍したに五郎入道正宗の刀も多く含まれています。

定信が編纂した古宝物図録『集古十種』は、吉宗の意図を継承したものと考えられ、その中には正宗の刀も含まれています。


そして、正宗の菩提寺は本覚寺

定信が「東身延」の額を書いた理由には、正宗の刀が関係あるようですですが・・・

どうなのでしょう?



(本覚寺)

正宗という名は・・・

佐渡流罪を許されて、夷堂で布教活動をしていた日蓮に付けてもらったものだといいます。




包丁正宗荏柄天神社に伝えられた名刀で定信の『集古十種』にも収録されている。






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