『御堂関白記』によると・・・
藤原道長は、1007年(寛弘4年)8月2日に金峯山を参拝するため京都を出発。
8月11日には金峯山で法要を行い、998年(長徳4年)に金峯山に奉納するため自らが書写した「法華経」・「無量義経」・「阿弥陀経」・「弥勒経」、1007年(寛弘4年)に書写した「阿弥陀経」・「弥勒経」を山上の蔵王堂(現在の大峯山寺)に埋納しました。
翌年、娘で一条天皇の中宮・彰子が土御門殿で敦成親王(後一条天皇)を出産。
人々は「金峯山の御霊験」と噂したのだとか・・・
金峯山詣(御嶽詣)は、吉野の金峯山に参拝すること。
清少納言の枕草子によると、990年(正暦元年)3月頃、のちに紫式部の夫となる藤原宣孝も金峯山詣を行っています。
📎『枕草子』藤原宣孝の逸話
金峯山経塚から出土した「金銅藤原道長経筒」(金峯神社蔵)は、国宝に指定されています。
金峯神社には源義経の隠れ塔も。
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