1001年(長保3年)閏12月22日、藤原行成の屋敷で崩御した藤原詮子は、藤原定子が葬られた鳥戸野陵で荼毘に付され、宇治陵に葬られました。
宇治陵は、関白・藤原基経が定めた藤原北家一門の埋骨地。
藤原氏塋域の碑
塋域碑には、冬嗣・基経・時平・兼家・道隆・道長・頼通・師実の名が刻まれています。
その他・・・
冷泉天皇の女御・藤原超子
円融天皇の中宮・藤原媓子
円融天皇の中宮・藤原遵子
花山天皇の生母・藤原懐子
一条天皇の生母・藤原詮子
一条天皇の中宮・藤原彰子
三条天皇の皇后・藤原娍子
三条天皇の中宮・藤原妍子
後一条天皇の中宮・藤原威子
後朱雀天皇の女御・藤原嬉子
などが葬られました。
ただ、37ヶ所の陵墓のうち、誰がどこに被葬されているかは特定されていません。
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