平将門は、自らを新皇と称して反乱を起こし、940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された豪族。
藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級は、4月25日に京都へ送られて梟首。
その首は京都で晒されるが、夜空へ舞い上がり、故郷へ向けて飛び去っていったのだとか。
その首が落ちた場所とされるのが、東京都千代田区大手町にある将門塚。
将門が討たれた後、子の将国は常陸国信太郡(茨城県稲敷市)に落ち延びたのだといいます。
信太・・・
信太という地は大阪にもあります。
安倍晴明は和泉国の信太の森に棲んでいた白狐・葛の葉が生んだ子という伝説が残されています。
しかし・・・
「晴明は将門の子・将国で、常陸国で生まれ、都に上って花山天皇の信頼を得た」という伝説もあるらしい。
参考までに・・・
源頼朝の挙兵に参じた千葉常胤や上総広常は、房総平氏・平忠常の子孫。
忠常の母は将門の娘。
北条時政の先祖といわれる平直方は、将門を討った平貞盛の子孫。
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