別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年2月8日木曜日

藤原道長と源倫子の結婚~道長の才を見抜いた藤原穆子~


『栄花物語』によると、藤原道長源倫子と結婚したのは、987年(永延元年)12月16日。

道長22歳、倫子24歳。


道長は藤原兼家の五男。

兼家の正室・時姫の生んだ子からしても三男。

兄には道隆道兼がいました。

道隆は嫡男。

道兼寛和の変花山天皇を出家させた立役者。

道長倫子と結婚したのは、寛和の変の翌年。

寛和の変では、姉の詮子が生んだ一条天皇が即位。

兼家一族に順風が吹き始めているときですが、道長は従三位・左少将。

一方、倫子は左大臣・源雅信の娘。

雅信は、出世の望みの薄い道長へ嫁がせるより、一条天皇に入内させることを考えていたようです。

しかし、雅信の正妻・藤原穆子は道長を強く推します。


『栄花物語』によると・・・

三位中将・藤原道長は、土御門邸の左大臣・源雅信が将来の后にしようと思い大切に育てていた娘・倫子に強く心惹かれます。

しかし、雅信は道長を婿として土御門邸に迎えることを大反対。

その理由は「口わき黄ばみたる主」だから(年若く経験が乏しい)。

ところが、雅信の正妻・藤原穆子は道長を

「この君ただならず見ゆる君なり」

として雅信の反対を押し切ります。

穆子は、一条天皇も東宮の居貞親王もまだ若く不釣り合いとして、急いで道長を婿にしてしまったのだといいます。

これには雅信兼家も唖然としてしまったのだとか。









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