中山寺(宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。
伝説によると・・・
718年(養老2年)、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺なのだとか。
それから270年後、宝印を探し出した花山法皇は三十三所を巡礼。
そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだといいます。
986年(寛和2年)6月23日、花山天皇(花山法皇)は藤原兼家・道兼父子の策謀により元慶寺で出家(寛和の変)。
播磨国書写山の圓教寺に入った後、延暦寺の戒壇院で受戒して法皇となり、観音霊場三十三所を巡礼したのだといいます。
晩年、花山法皇は摂津国で隠棲生活を送り、1008年(寛弘5年)2月8日、京都の花山院(御所)で崩御。
花山法皇が隠棲した花山院菩提寺は、元慶寺とともに霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。
中山寺は、聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場。
観音信者だった源頼朝も信仰した寺。
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