紫式部の父藤原為時は、菅原文時(菅原道真の孫)に師事し、大学寮では紀伝道を専攻。
和歌・漢学・漢詩に秀でた当代有数の文章生(文人)でした。
ただ六位以下の下級官人。
五位までが貴族と呼ばれる階級で、その格差は大きいものがありました。
そのため、紫式部も不安定な暮らしの中で育ったようです。
為時が貴族となるのは996年(長徳2年)に越前守となったとき。
為時の最終位階は正五位。
紫式部の母は藤原為信の娘。
名が不明のため、藤原為信女と呼ばれています。
紫式部が幼い頃に亡くなってしまったようですが、
父・為信の兄弟・為雅の妻の姉妹には『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母や『更級日記』の作者・菅原孝標女の母がいたり、兄弟の理能の妻は『枕草子』の作者・清少納言の姉妹だったようです。
紫式部は下級官人の家に生まれましたが、父方の家筋も母方の家筋も文才に溢れる者が多かった・・・
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