1008年(寛弘5年)11月1日、藤原道長の土御門邸では、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」が行われた。
道長の酔態ぶりを見た紫式部と宰相の君は、夜の酒宴後、御帳の後ろに隠れたのだが、道長に見つかり「和歌を一首詠めば許そう」と言われる。
紫式部が詠んだ歌が
「いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」
道長の返歌は
「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へとりてむ」
紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。
高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。
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