「鶴岡八幡宮祭礼行列之図」は、江戸時代の鶴岡八幡宮の祭礼行列の様子を描いたもの。
その中には面掛行列も登場します。
1709年(宝永6年)、鶴岡八幡宮の祭礼を見物した紀伊国屋文左衛門は『鎌倉三五記』に行列の順序をこう記しているようです。
陵王・小飛出・釣眼・大べしみ・しかみ・福禄寿・末社・うそふき・おふく・天女。
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「円覚寺洪鐘祭絵巻」(明治35年)は、61年目ごと(60年に一度)に行われる円覚寺の「洪鐘祭」(おおがねまつり)の様子を描いたもの。
洪鐘祭の祭礼行列には、かつて八雲神社(山ノ内)の例大祭で行われていた面掛行列も参加していたようです。
八雲神社の面掛行列は、前回の洪鐘祭を最後に行われなくなってしまったようですが、もしかすると、次回の洪鐘祭で復活するのかも。
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御霊神社(坂ノ下)の面掛行列は、鶴岡八幡宮の放生会で行われていた面掛行列に倣ったものといわています。
面掛衆の面は、爺・鬼・異形・鼻長・烏天狗・翁・火吹男(ひょっとこ)・福禄・阿亀・女(とりあげ)の十面。
面掛行列にまつわる源頼朝の伝説によると・・・
頼朝は非人頭の娘を身籠らせてしまします。
娘のもとへと通う頼朝の警護は非人たちが行ったそうです。
ただし、身分の低い者だったので、面を着けていたのだといいます。
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