999年(長保元年)の祇園御霊会でのこと。
雑芸者の無骨(むこつ)という法師が、大嘗祭で使われる標山に似せた作山を製作し、祇園八坂社の社頭で引き回しました。
それを聞いた藤原道長は驚いて、無骨の行為を止めさせ、検非違使に捕らえるよう命じましたが、逃げられてしまったようです。
そして・・・
その夜、内裏が全焼し、一条天皇は母后・藤原詮子の御在所に遷御しています。
この火災は、疫病退散を願って行った無骨の行為を禁止したことに対する祇園天神(牛頭天王)の怒りによるもの噂されたのだとか。
無骨の本名は頼信。
柔らかな身のこなしをする技芸から無骨と呼ばれ、前年から人気を集めていたそうです。
無骨の山鉾が祇園祭の山鉾巡行の起源といわれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆