1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄は、翌1573年(元亀4年)1月、三河国へ進軍。
2月10日には野田城を落とします(野田城の戦い)。
しかし、この頃から喀血を繰り返し、進軍は停止。
長篠城で療養していましたが、4月に入って甲斐へ撤退することに。
そして、撤退途中の4月12日、信濃国伊那谷で死去。
信玄は躑躅ヶ崎城下の土屋昌続邸に埋葬され、3年後の1576年(天正4年)、菩提寺の恵林寺に改葬されたのだといいます。
自分が死んだことは3年間隠すように遺言していたのだと伝えられています。
(恵林寺)
恵林寺は、1330年(元徳2年)、二階堂貞藤(道蘊)によって創建されました。
開山は七朝帝師と呼ばれた夢窓疎石。
当初は臨済宗円覚寺派の寺院でしたが、武田信玄が再興し、妙心寺派の寺院となっています。
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