三条夫人(三条の方)は、1521年(大永元年)に左大臣・三条公頼の次女として誕生。
1536年(天文5年)、武田晴信(信玄)の継室に迎えられ、三男二女をもうけました。
ただ、嫡男の義信は謀反の疑いをかけられ廃嫡(参考:義信の墓)。
長女の黄梅院は北条氏政に嫁ぎますがのちに離縁され病死。
次男の信親は盲目、三男の信之は夭折しています。
1570年(元亀元年)7月28日死去(享年50)。
信玄にとっては良き妻ではなかったかのように伝えられるが・・・
三条夫人の妹は本願寺十一世・顕如の妻。
信玄が越前朝倉氏・近江浅井氏・石山本願寺などと手を組んで織田信長包囲網を構築することができたのは、三条夫人のおかげなのかもしれない・・・
1573年(元亀4年)、三河国へ侵攻して病に倒れた信玄は、4月12日、甲府へ帰る途中の信濃国伊那谷で死去。
三条夫人の墓所の近くにあった土屋昌続邸に埋葬されました。
3年後、菩提寺の恵林寺に改葬されています。
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