別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2023年1月30日月曜日

武田信玄訓言


(恵林寺庫裡前の碑)

およそ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、十分を以って下と為す

その故は、五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りをするが故

たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕りを生ずれば次には必ず敗るるものなり

すべて戦に限らず世の中のことこの心がけ肝要なり







(甲府駅)


武田信玄は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏。

武田氏は、源頼朝木曽義仲とともに平家打倒の挙兵をした武田信義を祖としています。

本拠は、甲府の躑躅ヶ崎館

信濃、上野、駿河に侵攻して領国化し、1572年(元亀3年)には、遠江に侵攻して三方ヶ原の戦いで徳川家康を破って三河に進軍しますが、翌年、野田城を包囲中の陣中で病に倒れ、4月12日、甲府へ帰る途中の信濃国伊那谷(いなだに)で亡くなりました(53歳)。



(甲州市)

菩提寺は甲州市にある恵林寺



(甲府市)

甲斐善光寺は、武田信玄上杉謙信との川中島の戦い信濃善光寺が焼失してしまうことをおそれ、信濃善光寺の本尊(善光寺如来)を甲斐国に移してきたことに始まります(1558年(永禄元年))。






武田信玄


三方ヶ原の戦い


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徳川家康







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