別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年9月7日水曜日

畠山重忠の乱と足立遠元


『吾妻鏡』によると・・・

足立遠元は、1180年(治承4年)の源頼朝挙兵に参じ、最初に所領を安堵された武将。

遠元の所領は武蔵国足立郡。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1205年(元久2年)に畠山重忠の乱が起こった際、遠元がどうしていたのか不明ですが、娘は畠山重忠に嫁いでいました。

となると、何らかの影響を受けたものと考えられます。

かなり時代は下がりますが、後醍醐天皇の建武の新政で足利氏が賜った恩賞地に「北条泰家の武蔵国足立郡」があります。

もしかすると、畠山重忠の乱後、武蔵国足立郡は北条氏の領地になっていたのかもしれません。


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足立遠元が足立郡のどこに館を構えていたのかは不明ですが、埼玉県には館跡と推定されている地が数か所あります。


伝足立右馬允遠元館跡
(桶川市)

桶川市はその推定地の一つ。


六部堂
(さいたま市大宮区)

さいたま市西区植田谷本にある六部堂の西側一帯もその一つ。


(さいたま市大宮区)

足立神社は足立氏が祀ったのだと伝えられています。


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(横浜市旭区)

駕籠塚は、畠山重忠の内室といわれる菊の前の墓。

重忠が北条義時らに攻められていることを知った菊の前は、戦場の二俣川に駆け付けましたが、重忠が討たれたことを知って自害したのだといいます。

菊の前は足立遠元の娘とされています。




足立遠元


畠山重忠


畠山重忠の乱








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