甲斐善光寺は、武田信玄が上杉謙信との川中島の戦いで信濃善光寺が焼失してしまうことをおそれ、信濃善光寺の本尊(善光寺如来)を甲斐国に移してきたことに始まります(1558年(永禄元年))。
創建時の伽藍は焼失してしまいますが、1796年(寛政8年)に再建された山門や金堂は重要文化財に指定されています。
武田信玄が信州から引きずってきたという銅鐘が吊るされています。
甲斐善光寺の本尊は銅像阿弥陀三尊像。
信濃善光寺の本尊の前立仏として鋳造されたものです。
源頼朝は1187年(文治3年)、焼失して礎石のみとなっていた信濃善光寺の再建に着手し、1197年(建久8年)には自らも参詣したと伝えられています。
甲斐善光寺の頼朝像と実朝像は、信濃善光寺にあったもので、武田信玄が甲斐国へ移す時に持ち込まれたものです。
武田氏が滅びると、善光寺如来は各地を転々とした後、信濃に戻りますが、頼朝像と実朝像はそのまま甲斐に残されました。
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