源氏の尊崇を受けて天台密教の関東第一の道場として興隆したという調布市の深大寺。
東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹。
源範頼が修禅寺でで滅ぼされた後、比企尼の嘆願で助命された範頼の子範円・源昭は深大寺に住み、源昭は別当になったのだといいます。
源昭は慈光寺(埼玉県ときがわ町)の別当も兼ねていたのだとか。
鎌倉幕府の最後の将軍守邦親王の子守慧も別当を勤めたのだと伝えられています。
深大寺は「深大寺そば」で知られています。
江戸時代、深大寺の寺領は稲作に不向きだったため蕎麦が栽培され、小作人は「そば粉」を納めていたそうです。
深大寺で来客のために打たれた蕎麦が「深大寺そば」のはじまりなのだとか。
深大寺を訪れた際、蕎麦で接待された上野寛永寺の公弁法親王が将軍家や諸大名に推奨したことで「深大寺そば」の人気が高まり、「献上蕎麦」として全国に知られるようになったのだと伝えられているようです。
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