吾妻四郎助光は、『吾妻鏡』に弓の名手として登場する人物。
1204年(元久元年)正月の御弓始めに和田胤長・榛谷重朝・諏方盛澄・海野幸氏・望月重隆とともに射手に選ばれています。
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『吾妻鏡』によると・・・
1207年(建永2年)8月15日の鶴岡八幡宮の放生会でのこと。
警護を命じられていた吾妻助光ら数名の者が任務を怠るという事態が発生。
急遽代わりの者が手配されたが、将軍源実朝の出発は大幅に遅れ、舞楽の奉納が夜になってしまい、実朝は最後まで観覧することなく還御したのだといいます。
8月17日、この事件を重くみた北条義時・北条時房・大江広元・三善善信・二階堂行光は、任務を怠った者を詰問します。
厳しく問いただされた者たちは、
「身内に不幸があって喪に服していた」とか「病気で体調を崩していた」という返答をしたのだといいますが・・・
吾妻助光は理由を述べることができませんでした。
二階堂行光が
「武勇をかわれて採用されたにも拘わらず、その任務を怠るとは何事か」
と𠮟りつけると、助光は、
「晴れの儀式に鎧を用意しておりましたが、ネズミにかじられ破損してしまったので・・・」
と弁明。
行光は、
「晴れの儀式のために鎧を新調したのか?
警護の者がおしゃれをするものではない。
何故、先祖伝来の鎧を使用せず、新調の鎧を使おうとするのだ・・・」
と叱りつけたのだといいます。
そして、助光は出仕を止められることに。
それから3か月が経った12月3日、御所では酒宴の席が設けられ、北条義時と大江広元が参加していました。
そこへ一羽のアオサギがやってきて寝殿の上に留まります。
不快に感じた実朝は、射落とすように命じますが、あいにくそれだけの腕を持った者がいませんでした。
すると、義時が
「吾妻助光を呼び出しましょうか」
と申し上げると、実朝が承諾。
慌ててやってきた助光は・・・
衣服を逆さまに着ていたようですが、狙いを定めて矢を放ちます。
一瞬、的を外したようにも見えたようですが、サギが庭先に落ちてきました。
助光の放った矢は、鷹の羽を使用したもので、とても強いものでした。
その矢羽根をサギの眼にかすらせて生け捕りにしたのだといいます。
サギの左の眼からは血が少し出ていたそうです。
その妙技に感心した実朝は、出仕を許し、剣を与えたのだとか。
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