『吾妻鏡』によると・・・
曽我十郎祐成と五郎時致には、1176年(安元2年)に父河津祐泰が暗殺されて五日後に生まれた弟がいました。
曽我兄弟は、母満江御前が再嫁した曽我祐信のもとで育てられますが、弟は伊東祐清の妻に引き取られて育てられます。
祐清の妻は比企尼の三女。
祐清の死後、祐清の妻が大内義信に再嫁したことで義信の養子となり、出家して律師と名乗っていたようです。
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1193年(建久4年)5月28日、曽我兄弟は富士裾野の巻狩りの際に仇討ちを決行。
父を殺害した工藤祐経を討ち取りますが、兄の十郎祐成は仁田忠常に討ち取られ、弟五郎時致は捕えられて梟首されました。
仇討ち後、工藤祐経の妻子が律師も兄たちと同じように処分するよう訴えますが、その時は曽我兄弟に同意した証拠がないので許されました。
しかし・・・
7月2日、鎌倉に呼び出された律師は、死刑になると勘違いし、甘縄辺りで念仏を唱えて自殺してしまったのだと伝えられています。
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