大河ドラマ「鎌倉殿の13人」10話では、源頼朝の異母弟の源範頼と義円が鎌倉にやってきました。
ただ、範頼が『吾妻鏡』にはじめて登場するのは、1183年(寿永2年)2月23日の野木宮合戦。
範頼は遠江国の蒲御厨で誕生し、1159年(平治元年)の平治の乱で父義朝が平清盛に敗れた以降は、京の官人藤原範季の養子となって遠江国で成長したのだといわれています。
そのため、1180年(治承4年)の頼朝の挙兵時には、遠江国を支配していた甲斐源氏の安田義定と活動をしていたものと考えられているようです。
そして、全成や義経と同じく常盤御前が産んだ義円は、平治の乱後、園城寺に入っていました。
1181年(治承5年)、叔父源行家の挙兵に参加し、墨俣川の戦いで平重衡に敗れて討死。
おそらく頼朝や他の兄弟とは会わないままの最期ではなかったのかと・・・
「鎌倉殿の13人」11話では、義経が行家に従うようそそのかしたようですが、あり得ないことなのでしょう。
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2022年の大河ドラマ